2018年1月26日金曜日

なにが一番大切なことか、冷静に考えてみてください


戦争でまず犠牲となるのは子供、女性、そして老人、若者たちである。戦禍の中に取り残された人々だけでなく、戦争に送られた兵士も戦争の犠牲者である。従軍慰安婦の問題を考えるとき、慰安婦にさせられた女性たちと同じく戦争に送られた男たちにも、目を向けける必要がある。戦場で残酷な行為をした兵士たちにも同じく戦争被害者の一人として理解しなければならない。戦争そのものが、最も大切な命と生活を奪う行為であり、最大の人権侵害行為であることを自覚しなければならない。その意味で、最も優先する政治的課題は、戦争をしないことである。

 詩 「今、なにが一番たいせつなのですか」

最も大切なこと、それは戦争をしないこと
最も大切なこと、それは人々が戦禍の犠牲にならないこと
最も大切なこと、それは人々が平和な生活を送れること
それ以外に、政治の課題があるというのだろうか。

核を持つ国が、核抑止力で作る平和とは何か。
核をもつ国が、核を持とうとする国を攻撃することが許されるのか。
核をもつ国が、核を持たない国を核の力で威嚇することが正しいのか。
世界がそして日本が正しいと主張する政治姿勢で国際平和が築けるのだろうか。

今、自国が核戦争の危機にあるのにも拘らす
この国の政治家は北の核問題を核戦争の危機を犯してまでも
解決しようとする。

今、この社会が核戦争によって大きな被害を受けるかもしれないのに
この国の報道機関は北の核威嚇を単純な抑止力論を主張している
核戦争を起してまでも北の脅威を排除すべきと主張している

明治の昔「君死にたもうことなかれ」とうたった歌人の声がきこえないか。
そのこえを踏みにじり私達はどこに向かい、何を行い、
そしてどれだけの犠牲を払ったか
もう、再び、それを繰り返してはならない。

もし、この国に良心をもつ人々がいるなら、
今、韓国政府が行っている平和的解決の解決への努力を
「無駄なこと」と一言で評価することはしないだろう。

自国も核戦争の危機の中にありながら、
まるで、どこかの国の話のように、
一見、客観的で恐ろしい論評や意見に充ちている国、日本。

こんな国のこんな状況の中に、
私も、抑止力のみを叫ぶ評論家、ジャーナリスト、知識人や政治家も、
一緒に住んでいる。
そして、一緒の運命に立たされている。
それが現実なのだ。

慰安婦問題を巡り混迷する日韓関係は東アジアの平和的共存にとって最悪の結果を生み出す


現在の日本政府の外交力、取り分け近隣諸国、東アジア(中国や韓国)との友好関係強化に関する外交には長年絶望してきた。その結果が、今、朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)の核・ミサイル開発による脅威に対する日本の無能な外交をさらけ出しているように思える。

具体的には、安倍政権の慰安婦問題への対応である。これまで日本政府はそらなりの努力を払って来たのだが、この問題を拗らせたのは安倍政権であった。

以下、辻本氏が20073月に行った安倍首相への国会質問を参考すれば理解できる。つまり、安倍首相はそれまで日韓関係の改善に努力して来た過去の日本政府の経過を無視する言動を行って来た。取り分け、「河野官房長官談話見直し」を主張した。

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安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
提出者  辻元清美
平成十九年三月八日提出 質問第一一〇号
http://www.shugiin.go.jp/…/itdb_…/html/shitsumon/a166110.htm
以下、安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書
の一部を記載する。

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安倍首相が総裁を務める自民党内部から「河野官房長官談話」見直しの動きがあり、また首相自ら「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と述べ、談話見直しの必要性については「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことから、米国内やアジア各国首脳から不快感を示す声があがっている。
従って、以下、質問する。
一 《安倍首相の発言》について
 1 「定義が変わったことを前提に」と安倍首相は発言しているが、何の定義が、いつ、どこで、どのように変わった事実があるのか。変わった理由は何か。具体的に明らかにされたい。
 2 「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」と安倍首相は発言しているが、政府は首相が「なかったのは事実」と断定するに足る「証拠」の所在調査をいつ、どのような方法で行ったのか。予算を含めた調査結果の詳細を明らかにされたい。
 3 安倍首相は、どのような資料があれば、「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か。
 4 「理解を得るための努力」とは具体的にどのような行為を指しているのか。複数あればすべて明らかにされたい。
 5 安倍首相は、「決議案」のどの部分が、どのように「客観的な事実に基づいていない」と判断しているのか。文言ごとにすべて明らかにされたい。また政府は、指摘部分以外はすべて「客観的な事実に基づいて」いるという認識でよいか。

提出者  辻元清美 「安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書」より抜粋
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さらに、201512月、折角たどり着いた「慰安婦問題日韓合意」後に、稲田朋美防衛大臣による靖国参拝等々によって、韓国や中国等が最も批判し続けて来た過去の戦争犯罪に対する日本政府の謝罪の姿勢を否定する行動を行ったのである。
こうした背景を考えるなら、仮に現韓国政府が言うように「慰安婦問題日韓合意」が被害者への朴韓国政府の十分な理解を抜きに行われたとしても、そのことが日本の被害者への真摯な謝罪の姿勢とは解釈されないだろう。

こうした課題を映画作家の想田和弘氏は20171月に記載している。

以下、想田和弘がマガジン9に記載した文章です。
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想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。
http://www.magazine9.jp/article/soda/31871/

「慰安婦像問題」でバレてしまった安倍政権の本音
2015年12月の「日韓合意」で「最終的かつ不可逆的に解決」されたはずの、いわゆる「慰安婦問題」が再燃している。韓国の市民団体が、釜山日本領事館の前に「慰安婦像」を設置したからである。
 像は、いったんは釜山市によって撤去されたものの、稲田朋美防衛大臣による靖国参拝への不満の高まりもあり、市のホームページがパンクするほど韓国世論が猛抗議。市は一転、設置を容認せざるをえなくなった。そもそも「日韓合意」は韓国では不人気だったようだが、その不満が一気に燃え盛ったといえるだろう。
 この事態に対して、安倍政権は信じられないような高圧的な態度に出た。日韓合意の「約束の履行」を求めて駐韓日本大使と在釜山日本総領事を一時帰国させるとともに、日韓通貨交換の取り決め協議を中断し、日韓ハイレベル経済協議を延期したのである。
 さらにNHKの番組に出演した安倍晋三は、「日本は誠実に義務を実行し10億円をすでに拠出している。次は韓国がしっかりと誠意を示して頂かなければならない」と述べた。「こっちはカネを払ったんだから、韓国政府は市民団体を黙らせろよ」と言わんばかりの発言である。当然、韓国の野党は安倍発言に猛反発した。最大野党の禹相虎院内代表は「安倍に10億円を返そう」と述べたという。
 泥沼である。
 由々しきことに、日本政府含めかなり多くの日本人が「韓国はなぜ国際的な約束を履行しないのか」と怒り、安倍政権の強硬措置に拍手喝采している。宮根誠司はフジテレビの番組で「大使を帰国させたっていうのは、これ当然ですよね」と評価し、その場に居た木村太郎も「当然だと思いますよ」と応じたという。ネット上も似たような見解で溢れ、民進党の蓮舫代表ですら大使らの一時引き上げについて「仕方がなかった」との見解を述べた。
 だが、彼らの論理や反応には首を傾げざるをえない。
 まず、そもそも日韓合意を読めばわかる通り、韓国は慰安婦像の撤去や新設の阻止を約束しているわけではない。日本の外務省のサイトに掲載された「日韓両外相共同記者発表」によれば、合意内容は次の通りである。
 「韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」
 ソウルの日本大使館前に慰安婦像を設置したのが韓国政府ではなく市民団体である以上、政府として撤去を確約できないのは当然だろう。市民団体には当然「表現の自由」があるわけで、デモクラシーを掲げる韓国政府としては、それを無理に撤去するわけにはいかないからである。
 同様のことは、市民団体によって釜山に新たに設置された慰安婦像についても言える。また、釜山市が一度は像を撤去したことに鑑みれば、韓国は「適切に解決されるよう努力」したとも考えられる。一般市民が表現の自由を行使したことに対して、韓国政府を罰するという日本政府の対応はどう考えても奇妙だし、「市民を黙らせろ」と韓国政府に圧力をかけること自体、デモクラシーを標榜する国としては誠にまずいと思うのである。
 それは例えば、沖縄で高まる辺野古基地反対運動などに置き換えてみればわかり易い。もし米国政府が「日米政府では辺野古で合意済みなんだから、日本政府は運動を排除しろ。排除しないなら大使や領事を引き上げる」と言い出しそのまま実行したら、いったいどうであろうか。辺野古に反対していない人でも、反発を覚えるのではないだろうか。いや、米国政府の「表現の自由」やデモクラシーに関する態度までをも疑うことになるであろう。今回日本政府は、まさにそういう行為を行ったのである。
 また、慰安婦問題では、日本は加害者側であるということも忘れてはならない視点である。
 日本人にはいまだに「慰安婦はカネのために自ら身体を売った売春婦なので、日本政府が謝る必要などない」などと言って、史実や加害責任を否定する輩が多い。しかしそういった主張は、それこそ日韓合意に反する。日韓合意では、日本政府が自ら次のように表明しているからである。
 「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」
 むろん「日本は悪くない」と妄言を吐く人にも言論の自由はあるわけだから、日韓合意に反する主張をすることは妨げられない。しかしそうであるならば、韓国の市民が慰安婦像を設置する自由も尊重しなければ、釣り合いが取れないのである。
 いずれにせよ、安倍を含めて日本の加害責任を否定したい人々は、こういう摩擦が起きるたびに「国家間で賠償も謝罪も済んでいるはずだ。日本はいったいいつまで頭を下げ続ければいいのか」という態度を取る。
 しかし、これが例えばレイプの加害者と被害者の関係だったらどうであろうか。加害者が裁かれ、被害者に一応は謝罪し、賠償したとする。しかしその後、加害者が「あれは合意の上だった」「売春だった」などと言い出したらどうか。被害者がそれに抗議し謝罪を求めるのは当然であろう。ところがそれに対して加害者が「もうカネは払ったはずだ。俺はいつまで謝ればいいんだ?」と開き直ったとしたらどうか。被害者の抗議が一層エスカレートするのは目に見えているであろう。
 本当に問題を解決したいのならば、加害者側は相手が許してくれるまで、いや、許してくれても謝罪し続ける必要がある。そうして初めて、被害者の傷は癒される可能性が出てくるのである(もちろん、それでも癒されないかもしれない)。
 そういう、人間同士の関係では至極当然のことが、国家間になると突然、人々には見えなくなってしまう。国と個人では事情が違うだろうというかもしれないが、国を形作っているのは人間である。政府間でさまざまな合意がなされたとしても、人々までが納得するとは限らない。
 なお、日本政府が10億円を拠出したのは、日韓合意での次のような文言に基づくものである。
 「日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする」
 つまり10億円は、元慰安婦の方々の傷を癒し尊厳を回復するための資金という位置付けである。日本政府として「心からおわびと反省の気持ち」を持っていることを、少しでも形として表そうという試みだと僕自身は解釈していた。
 ところが今回の件で安倍晋三は、「10億円拠出したんだから韓国も誠意を示せ」と言い放ち、大使等を一時帰国させる措置を取った。安倍の「心からおわびと反省の気持ち」が偽物であり、実は10億円で相手を黙らせようと考えていたことが、韓国の人々にバレてしまった。本当に「心からおわびと反省の気持ち」を抱いている人間であるならば、慰安婦像が領事館前に建立されたとしても、怒るどころか像に花を手向けるくらいの行動をしなければおかしいからである。
 「日韓合意」は米国のオバマ政権による仲介で実現したものである。日韓両政府の歴史問題での対立は、北朝鮮への対応などで両国が協力関係を強めていく妨げになっており、安全保障上も好ましいことではないと米国が考えたからである。
 日本の行く末を本当に心配するならば、安倍の強硬姿勢に快哉を叫び、「安倍外交の勝利」だの「韓国とは国交を断絶すればよい」などと言っている場合ではないはずだ。祖国・日本の行く末を本気で心配している僕には、日本政府の行動も、安倍支持者たちの熱狂も、自分で自分の首を絞めるような行為に見えて仕方がない。
想田和弘 「「慰安婦像問題」でバレてしまった安倍政権の本音」

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この混迷する慰安婦問題こそ、現在の日韓関係の姿である。日韓関係の改善の糸口である慰安婦問題への対応を現在の安倍政権に任すことはできない。また、この問題で日韓関係改善を阻止したい右翼集団、それを支援するマスコミに世論を誘導させてはならない。

友好な日韓関係は東アジアの平和的共存のために必要不可欠の要素である。東アジアの平和的共存という大きな目的を果たすために最も理性的で現実的な日本の外交、日本国民・市民の努力の積み重ねを行う必要があると思う。


2018年1月11日木曜日

眠れぬ夜

眠れぬ夜、思索の森を、
きっとあなたも、
彷徨い歩いているのか。

眠れぬ夜、沈黙の海を、
きっとあなたも、
漂い流れているのか。

人は皆、不安の未来に、
覆われ
生きているのだ。

人は皆、闇夜の今を、
黙して、
生きているのだ。

ただ、満月の夜の
遠い海鳴りの歌が聴こえ

宵空の中の流れる雲に 
ソナタ色の光を青く注ぐ。



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詩集『心象色彩の館』 目次

平岡諦著、『憲法改正:自民党への三つの質問・三つの提案』の紹介

2011年東日本大震災・福島の東電原発事故のすぐ後、私はその後に起こる被曝問題を課題にして、5名の専門家に講演を依頼し、京都で行った。その一人平岡諦先生が、昨年、著作『憲法改正:自民党への三つの質問・三つの提案』を出版された。この本は、自民党が提案した憲法改正案を分析・解釈したものである。平岡先生が医療ガバナンス学会の学会誌に投稿しました文章をそのまま載せます。


以下、MRIC Vol.005  医療ガバナンス学会 http://medg.jp のメール情報誌MRIC 2018年1月10日 発行に記載された文章です。

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2018年1月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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拙著、『憲法改正:自民党への三つの質問・三つの提案』の宣伝を
健保連 大阪中央病院平岡 諦
2018年1月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp---------------------------------------------------------------------「最近、テロ対策、国際的緊張状態などを視野に入れてでしょうか、法のあり方が議論されています。その中に私たちの*身近なところに国の視線を感じずにはいられない部分*があり、違和感を感じてきました。もしかしていつの間にか、知らないところでいろんなルールが作られていて、気がついたら、小説にあるような*管理社会*になっているのかもしれない。そんな不安を、多くの方も持っているのではないでしょうか。」

これは、最近のMRIC Vol.252「医療基本法:健康イコール善という価値観」(山本百合子氏)の中の文章です(*は平岡)。わたしも強く不安を感じる一人です。この不安の由来を明らかにしたのが上記、拙著です。

「国の視線を感じずにはいられない部分がある」とは、すなわち「国(政府・自民党)の価値観の押し付け」が法律に反映されているということでしょう。国民一人一人の価値観の実現を最大限に調整するのが、民主国家の役目のはずです。政府・自民党がリードする現在の日本が、民主国家でなくなりつつあることを意味します。

国民一人一人の価値観の実現を国が最大限に調整する、これが「基本的人権の尊重」ということばの意味です。このことばの元は、日本が受諾したポツダム宣言にある「respect for the fundamental human rights」の、当時の外務省役人の翻訳です。言い換えると、「根源的な(人間の尊厳を守るための)人権に対する敬意」ということになります。Rightsが複数になっているのは、人間の尊厳を守るためには多くの人権が必要だからです。

政府・自民党の考え方をもっとも端的に表しているのが、自民党の憲法改正草案です。そこに示されているのは、「基本的人権の尊重」ということばの「勝手な解釈」です。その解釈では次のようになります。

国(政府・自民党)は、まず人権を分割できると考え、そして国は「(国民の)人権の基本的部分(だけ)は尊重」するという解釈です。政府・自民党は「基本的人権の尊重」をこのように「勝手な解釈」をしています。裏返すと、「人権の基本的でない部分には、国の価値観を押し付ける(国の意向を優先する)」ということになります。

前著では、「患者の人権を尊重する」が、時には「第三者の意向を優先する」という日本医師会の医療倫理が、日本の医療界の根本的な問題点であることを指摘してきました。現在の日本社会(それをリードしている政府・自民党)の根本的な問題点が「基本的人権の尊重」の「勝手な解釈」、「人権の基本的でない部分には国の意向を優先する」ことにあることを拙著で明らかにしました。日本の医療界も、現在の日本社会も、その根本的な問題点は同じ構造です。「人権」や「人間の尊厳」のとらえ方の問題です。

政府・自民党は、これまでにも法律に「国の価値観=国の視線」を入れてきました。「国の意向を優先」させてきました。これは現行憲法(民主憲法)の軽視、無視に当たります。そこで最後の仕上げとして、政府・自民党は憲法改正(政府・自民党にとっての改正、国民にとっては改悪)をしようとしているのです。自民党の改正案が成立すると日本は民主国家でなくなります。「管理社会」になるでしょう。ヒットラーのような独裁国家にならないまでも、政府・自民党に都合の良い強権国家にはなるでしょう。

以上が拙著の人権に関する主要な論点です。ここでは書いていませんが、人間の尊厳に深くかかわる戦争(安全保障)に関しても、もちろん論じています。まさにまさに、有難いことですが、過分な書評を頂いています。これら一つ一つがわたしの宝です。お礼を申し上げるとともに、ここに紹介させて頂きます。拙著の「宣伝」でもあります。

書評(1):(フランスで哲学博士を取得し、日常活動と思想活動の統一を図ろうとする市民運動家でもある大学教授より):
まだ、完読していませんが、以下に示しました特徴があることに気付きました。
1:非常に分かり安く解説されている。
2:問題の所在が何か、極めて明確に指摘されている。
3:著者の分析や解釈の方法論の前提が明示されている。
4:歴史的視点で日本国憲法の構造が書かれている。
5:自民党案の問題点が上記視点から相対的に比較分析されている。

書評(2):(国際法、軍縮法の専門家より):
本が届いて最初はびっくりしましたが、出版の意図や目的を読ませていただき、また序章と終章を読ませていただき、平岡さんの言いたいことが良く理解できましたし、このような著述の理論的枠組みや過去の文献の分析などもよく理解できました。
全体的には、出版の意図は極めて明確であり、その理由付けというか、論理的分析も、多くの一次資料および関連学者などの論考を引用しながら、きわめて説得力ある形で提示されていると考えます。

書評(3):(MRICでもお馴染みの、血液病理学者の難波紘二先生より):
平岡先生は、奥付の略歴を見ると「昭和20(1945)2月、大阪生まれ」とあり、1969(昭和44)年に阪大医学部を卒業されている。私は1941/6の生まれだから、ともに昭和憲法下に育った世代だ。戦後日本が一度も戦争をせず、ひとりの戦死者も出さなかったことを誇りに思っている。この本のよい点は詳細な参考書目録と事項・人名索引がついていることだ。
いま読んでいるヴァイツゼッカー『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』(岩波現代文庫)に「荒れ野の四十年」という名スピーチがあり、ナチスの犯罪について「民族全体に罪がある、もしくは無実である、といようなことはない。罪といい無実といい、集団的なものではなく、個人に責任がある」という一節があった。
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは旧西ドイツ最後の大統領であり、統一ドイツ(現在のドイツ)初代の大統領でもある。
平岡先生の本の「人名索引」を見ると、「ヴァイツゼッカー」がちゃんと載っており、『言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集』が参考資料に載っている。この本を書くのに、ずいぶん勉強されたことがわかった。
私がまだ在職中のこと、広島大学が開学五十周年だったか、「統合移転完了記念」だったかの祝賀行事に、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領を呼ぶという計画案が出たが、講演料が高すぎて実現せず、旧西ドイツのヘルムート・シュミット元首相を呼んだことがあった。
講演は英語だったが無線イアホーンを使った同時通訳(広島大の教官)が付き、約400人の聴衆(教職員・学生・一般市民)が集まった。私は英語を直接聞いたが、シュミットさんがヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説から、上記のくだりを引用して話したのが印象的だった。何語で話しても、名言は名言だ。
「ワイマール憲法」というもっとも民主的な憲法下で「ヒトラー独裁」という最も非人間的な体制が生まれたというのは、歴史の大いなる皮肉だが、人類は過去3000年の間に同じ過ちを何度も繰り返している。
自民党と「読売」の「憲法改正試案」も読んでだが、私は憲法前文にある、
「日本国民は、恒久的の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」
ここが憲法問題の核心だと思う。
<平和を愛する諸国民の公正と信義>が信頼できなくなったら、<われらの安全と生存を保持>することもできなくなる。
平岡先生の著書は重要な一石を投じた本だと思った。

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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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配信・解除依頼はホームページ http://medg.jp/mt/ の「お問い合わせ」からご連絡ください。手続きに数日要することがありますので、ご了承ください。
今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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MRIC by 医療ガバナンス学会


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