2016年11月23日水曜日

地域社会を分断する「原発賄賂」の構造 柏崎市長選挙が示す日本社会の民主主義度とは   


今年10月16日に柏崎刈羽原発の再稼働に反対する新潟知事が誕生し、11月20日、その再稼働を支持する柏崎市長が誕生した。そして、今日11月22日に福島沖で震度5(マグニチュード7)の地震が起こり、約1mの津波が発生した。誰しも、福島第一原発事故現場の安全を気にしたに違いない。そして、同時に、こんな日本に原発建設などという無謀なエネルギー政策が続くことを不安に思ったに違いない。

しかし、現実はどうだろう。原発を抱えた県民が反対する中で、原発を抱える町が原発再稼働を支持するのは、柏崎に限らず、鹿児島の川内でも同じである。つまり、原発を抱える町は、直接に電力会社から利益を受ける。町は電力会社からの資金援助で潤う。この構造が、なんともいびつな世界を作っている。これが否定しようのない現実の日本社会の姿である。

この構造は、言い換えると一種の「賄賂」と同じ仕組みになっている。つまり、施設が引き起こされる地域社会の安全性が問われる全ての地域が、その施設の公共性と安全性を点検する社会的機能を与えられていない。そして、その一角である一つの町、つまり経済的援助を受ける町のみが、広域災害の可能性を無視して、原発の再稼働に対する同意の大きな役割を果たす。言い換えると、ある一部の人々に特別にお金を渡し、他の同じ立場の人々との格差を作ることで、利権を獲得する構造である。この仕組みを国や電力会社が作った。それは、少ないお金で、電力会社が利益を得ることが出来るからである。その意味で、これは、確かに、政治的に仕組まれた「賄賂」の構造であると言える。

例えば、東電が柏崎市のみでなく、新潟県、いや原発事故が発生した場合に被害を受ける可能性のある半径80キロに及ぶすべての地域に柏崎と同じくらいの援助をするなら、それは賄賂ではなく、正当な東電の対応となる。しかし、それでは東電が経営的に破綻する。そこで、原発立地の市町村に限って、安全を脅かす対価を払うことにしたのである。金を払うから黙ってくれと言ったのである。それも、ごく一部の人々のみに限定して。だから、これは一種の賄賂に観える。

そして、この賄賂を貰って恥ずかしくないかと市長選挙で原発再稼働を支持した川内や柏崎の市民にに言いたくもなる。その気持ちが同じ被害を受けるだろう隣町の住民から聞こえても不思議ではない。この賄賂によって、そんな悲しい分断が生まれているのである。

だから、この賄賂的な資金援助の構造を変えて、すべての被害を受ける可能性のある市民への資金援助しなければならないと法律を変えるべきだとい主張することも納得できる。そうすれば、柏崎や川内の市民に対してもこんな気持ち・「外から言うしかない」という気持ちを持たずにすむかも知れない。そして、電力会社に対して半径80キロに及ぶすべての地域の人々への公平な安全保障費用の支出を求めるだけで、電力会社は原発建設や再稼働をあきらめるだろう。何故なら、それぐらい原発の安全管理の金額は高いのである。

電力会社が賄賂的な援助を行うことは、明らかに民主主義社会への冒涜だと思う。その冒涜を食い止めるためには、原発誘致地域の人々も納得できる被災可能な地域全体の市民が総出で電力会社への公平な安全管理費用の支払いを要求する法律を求めてもいいのではないだろうか。福島原発事故は、その根拠を十分に私たちに与えていると思う。

2016年11月22日 Blog記載

今だからこそ強く問われる北東・南東アジアとの平和的共存への道


先日、11月19日土曜日、立命館大学茨木キャンパスで開催された国際アジア共同体学会の「東アジアエネルギー安全保障」の研究発表会を聴きに行った。京都奈良EU協会に参加し、EUのような地域国際連携が出来ないか、またPV-Netの運動に参加し、自然エネルギー社会を構築ができないかと考えている私にとって、この課題での研究報告を是非とも聴きたいと思った。非常に学ぶ参考になった。

特に、アメリカのトランプ政権が成立した後、アメリカの東アジア外交がそれほど大きく変化することはないにしても、その少しの変化で、日本のこれまでの東アジア外交、取り分け、対中国外交に大きな影響が出てくる可能性がある。

この学会の会長である進藤栄一先生が、11月18日発行の週刊金曜日で見事な分析をされていた。この状況が、今後の東アジア外交にプラスになるのか、もしくは対中国軍事力強化路線を選ぶのか、21世紀の日本の未来が掛かっているようにも思えた。

日本は、アメリアとの良好な関係を大切にすべきだが、同時に、東アジアの平和的共存に関して、中国やロシアとも友好関係を強化すべきである。経済協力、科学技術共同開発、環境問題への共同対策、北東アジアでのエネルギー資源の安全保障体制、教育文化の交流、先端医療福祉事業の共有化、等々、日本の経済力、科学技術力、教育力、文化力を発揮し、未来に繋がる平和外交を推進すべきである。

アメリカやイスラエルとの軍事産業の提携やそのための科学技術の共同開発へ向かう、現在の日本は、今、ここで、近隣の北東アジアの諸国との平和的共存関係を重視する方向に舵を切るべきだろう。その意味で、私は原発を推進し平和憲法を破棄しようとしている安倍政権であるが、阿部首相が進める対ロシア外交は支持し評価しているのである。


2016年11月22日 Blog記載

よく状況を理解するしかない現実


アメリカではポピュラリズム扇動したトランプ氏が大統領選挙を制した。その状況を巡って、日本では色々な意見が出されている。反安倍政権の側でも彼に期待する人々がいる。彼だと、米軍が沖縄から撤退するだろう、TPPから撤退するだろう、シリアから軍を引き上げるだろう、ロシアと上手に外交するだろう等々。私は分からないので何も言えない。

彼の人事を観る限りそうでもなさそうだともいえる。しかし、明らかにこれまでオバマ大統領が行ってきた国内外の政策を変更することには違いない。

私の懸念は、ただ一つ、トランプ氏を支持した格差社会にあえぐ白人労働者たちが、結局、トランプ氏の政策では救済されず、その怒りを、更に過激な主張に吸収されることである。こうして、ナチも生まれた。イギリスを含むヨーロッパで巻き起こる極右運動は、いずれにしても国際平和維持にとって大きな支障となるだろう。

それは、アメリカのイラク戦争、その後の国家の壊滅、貧困、そして紛争の連鎖の中で苦しむ中東、そこから生まれたIS、それによって引き起こされている新たな戦争への道と類似するように思える。

何が正しいのか、何を選択すべきなのか、何を支持し、誰と共に行動するのか、実に、見えにくくなっている。だからこそ、常に、原点に立ち戻り、歴史の流れを理解し、よくよく考えながら行動する生き方を選ぶしかないと思う。

2016年11月11月22日 Blog記載

小泉元首相「生きているうちに原発ゼロを」講演会に参加して


11月8日、小泉純一郎元首相が京都市の「ひと・まち交流館京都」で講演を行った。講演会の主催団体は「市民環境研究所」(代表 石田紀郎元京都大学教授)である。
小泉氏の話す課題はすでに知っていることなのだが、彼の人間的魅力が、原発反対をめぐる話の中で滲み出ていた。約1時間と15分の講演の最中で自然に沸き起こる聴衆の拍手は、その彼の人間力から発せられることばに引きずられ私たちが何時も間にか起こしていた行動であった。
私を含め多くの人々が、原発反対の話を聴きにきたと言うよりも、小泉さんが話す原発反対の話を聴きにきたのだ。このことは、今後、原発のみでなく、別の社会に訴えなければならない課題を取り上げるときに、大切な要因として理解しておくべきことだと思った。
実に、面白い講演会であった。
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京都新聞
「 「原発ゼロ」の即時実施を主張している小泉純一郎元首相が8日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で講演した。「生きているうちに原発ゼロを実現したい。原発に頼らず、自然を大事にしながら生活を発展させる方がはるかにいい」と原発政策の転換を訴えた。
 小泉氏は、東日本大震災での救援活動「トモダチ作戦」に参加した米兵らが放射性物質の影響で病気に苦しんでいるとして支援基金を設立した。講演で「救援活動をしてくれた兵士が放射能汚染に苦しみ除隊せざるをえない。病が重い兵士がいるのに、米国防総省は被ばくによる健康被害と断定できないと言う。東京電力と同じだ」と断じ、既に基金が1億円を超えたと報告した。
 福島第1原発事故を受けた賠償や廃炉作業で政府に巨額の支援を要請する東京電力について「コストが安いと言うのはうそだった。金まみれの産業が原発だ」と批判した。「事故後、原発はゼロか1、2基しか動いていないが、(大規模な計画)停電は起きていない」とし、自然エネルギーへの転換を呼び掛けた。
 講演は、原発のない社会づくりを訴えるNPO法人「市民環境研究所」(左京区)が主催し、市民ら約350人が参加した。」
京都新聞より

2016年11月10日 Blog記載 

2016年政治社会学会総会・研究大会のお知らせ


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 日程 2016 年11 月26 日(土)~27 日(日)
会 場  武蔵野大学・有明キャンパス(1 号館5 階503 教室)
〒135-8181 東京都江東区有明3-3-3
大会参加費 会員1000 円 非会員3000 円(懇親会費3000 円)
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大会のみ参加の会員:1000 円
大会、懇親会ともに参加の会員:4000 円
大会のみの参加の非会員:3000 円
大会、懇親会ともに参加の非会員:6000 円

【振込み先】三菱東京UFJ銀行吉祥寺駅前支店 (普通)4614938 アラキヨシノブ
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会場アクセス http://www.musashino-u.ac.jp/guide/campus/access_ariake.html

最寄り駅までのルート
? りんかい線「国際展示場」駅徒歩7 分
? ゆりかもめ「国際展示場正門」駅徒歩6 分
? JR 各線(新幹線・在来線)、東京メトロ(丸ノ内線) 東京駅(丸の内南口)
5 番乗場より都営バス(都05 系統「東京ビッグサイト」行き)で約30 分「武蔵野大学前」下車
すぐ
? JR 各線(新幹線・在来線)、東京メトロ(丸ノ内線) 東京駅(八重洲南口)
10 番乗場より都営バス(東16 系統「東京ビッグサイト」行き)で約30 分「武蔵野大学前」下
車すぐ
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大会一日目11 月26 日(土)
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10:45-12:15 ポスターセッション(503 教室前もしくは505 教室)
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12:15-12:45 理事会(507 教室)
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13:00-15:00 セッション1 文理融合型研究方法と総合政策学へ応用(503 教室)

司会  川野徳幸(広島大学教授)
報告1 西山賢一(埼玉学園大学)  「反射的方法(表象)から回折的方法(遂行)へ-文理融合の方法をめぐって」
要旨
自然科学は、客観的に存在する世界を観察者として記述することを目指してきた。これは外界を鏡に映して、その反射像を捉える試みに似ている。経済学などの社会科学も、自然科学をお手本にしようとしてきた。ところが量子論が登場して、観察者と観察対象の相互作用が不連続なため、両者が切り離せなく、観察者と観察対象を含めた世界を捉えなくてはならなくなった。ここで求められのが、量子論の核心でもある回折現象である。回折では、異なった波の重ね合わせから、どの波とも異なった明と暗のパターンが得られる。つまり、回折によって新たな差異が生み出される。量子論からフェミニズム理論に進んだBarad(2007)は、Bohrの量子論の議論を発展させて、Material-Discursiveの理論を構築している。この理論は、私たちが社会人大学院で進めてきたマテリアルにこだわる方法(Boundary Objectなど)と重なっている。報告では、Baradの議論と私たちの大学院での実践を合わせて、論じてみたい。


報告2 三石博行(NPO 太陽光発電所ネットワーク副代表) 槇和男 (元花王研究所主席研究員 副所長)
「問題解決のための総合政策設計方法、俯瞰的視点とプラグマティズム的視点」
要旨
現代科学技術文明社会では、社会経済文化活動に於いて文系と理系の知識が融合状態にあり、文理融合という研究スタイルが日常的に語られる。この文理融合は政策学でも当然の研究スタイルになっている。現在、色々な分野、産業界、教育界や研究プロジェクト等々で使われている文理融合の概念に言及しながら、科学方法論、知識探求のスタイルや研究プロジェクトとしての文理融合概念について語る。中でも、吉田民人の「自己組織性の情報科学」として了解された生物学と人間社会科学の情報科学としての解釈に科学基礎論の視点から文理融合的学問スタイルの概念を抽出してみる。自己組織性の情報科学やプログラム科学、設計科学の概念から、俯瞰的・総合的政策設計の在り方を検討し、そこの必然的に含まれる文理融合型の政策学のプラグマティズム的方法論、更には設計的・反省的知のシステムとしての政策提案と政策点検の在り方に関する提案、政策学基礎論の成立条件に関する提案を試みたい。


討論者 新川達郎 (同志社大学)
佐藤洋一郎 (大学共同利用機関法人 人間文化研究機構)

グループ・ディスカッション(505 教室に移動)
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15:00~15:15 <コーヒーブレイク>
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15:15~17:00 セッション2 自由論題セッション(503 教室)

報告1 森裕亮(北九州市立大学)、新川達郎(同志社大学) 「地縁団体のNPO 化とNPO の地域化:都市部におけるエリアマネジメントNPO を事例にして」

報告2 森壮一(元科学技術・学術政策研究所上席フェロー) 「文理融合研究のガバナンスの要諦としてのステークホルダーの特定と早期関与」

報告3 泰松範行(東洋学園大学)

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17:00~17:30  特別講演 「経済(量的)成長は政策目標たりうるか」原田博夫(関東政治社会学会・ASPOS, Kanto 会長)
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17:30~18:00  総会(503 教室)
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18:00~20:00 懇親会「青蓮」(健康中華庵)有明TOC 店
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大会二日目(11 月27 日)
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9:00-10:30 セッション3 政治社会学会と文理融合研究(503 教室)

趣旨説明佐藤洋一郎(人間文化研究機構)

ディスカッション
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10:45-12:15 セッション4 太陽光発電に関する電力(出力)抑制とエネルギー政策(503 教室)
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司会 三石博行(NPO PV-Net)

報告1野間口大(大阪大学) 「分散型エネルギーシステムにおける出力抑制問題へのシステムズアプローチ」
要旨
近年,再生可能エネルギーを中心とした分散型エネルギーシステムへの期待が高まっており,各種の補助政策の効果もあって徐々に普及が進んでいる.一方で,既存の電力系統は大量の分散型エネルギーの連係を想定しておらず,そのままだと電圧上昇などの問題を引き起こすため,一定の導入量を超えた場合には発電を制限せざるを得ない.これがいわゆる出力抑制問題である.出力抑制が頻発すると売電量が著しく減少するため,分散型エネルギー普及の阻害要因となる.本報では,出力抑制問題に対して,従来個別に立案されてきた分散型エネルギー普及計画と系統整備計画を俯瞰するシステムズアプローチによる問題解決が必要との立場から,両者の連係計画の概念を提案し,その解法としてシナリオとマルチエージェントシミュレーションを活用し方法論を提示する.大阪府三島地域における太陽光発電普及計画のケーススタディを紹介する.

報告2 原圭史郎(大阪大学)「フューチャーデザイン:エネルギーシステム分野への応用可能性」
要旨
 市場や間接民主制などの現代社会の根幹をつかさどる制度・社会システムの下では,将来世代の利益・視点を明示的に取り込んで,将来ビジョンづくりや意思決定を実践していくことは困難である。また,既存の参加型ビジョンづくりについても,基本的には現世代の人々が将来を展望するというものであり,将来世代の視点が明示的に組み込まれているとは言い難い。我々はこの難題に対処するため,現代に仮想的に将来世代を創出し(仮想将来世代),仮想将来世代が現世代と交渉・合意形成を進めながらビジョン設計や政策立案を行うという新しいアプローチ,すなわち「フューチャーデザイン」を提起している。本発表では,現世代と仮想将来世代とが合意形成を進めながらビジョン設計を行った岩手県矢巾町での事例を紹介し,仮想将来世代創出の意義や議論の特徴,今後の研究課題を提示するとともに,本手法のエネルギーシステムへの応用可能性について考えてみたい

報告3 尾形清一(京都大学)「再エネ大量導入に向けた社会モデルに関する一考察―農業とエネルギーのシステム融合に向けた具体策-」
要旨
本報告は、再エネ大量導入に向けた社会モデル構築に関する研究で、特に農業生産とエネルギーのシステム融合の可能性について考察する。再エネ大量導入に関する課題は、本セッションのテーマでもある太陽光の出力抑制のような変動再エネの「系統連系」に関する課題群や、風力や太陽光等のような分散電源が生活圏に近接することで生成する立地に関する課題群が大きな障壁と言ってよい。そして、これらの課題の多くは、技術的課題というよりは、社会経済的、あるいは社会システムに関する課題だと筆者は考えている。 そのため、再エネ大量導入に向けては、技術的課題を含めた社会モデルを考察することが重要なのだが、このような研究関心で農業とエネルギーシステム融合に関する研究を報告する。具体的には農業生産と再生可能エネルギーの協調的生産(以降、農エネ併産)を実現し,そこで生成されたエネルギーを農業自体のみならず周辺地域社会で活用して,化石エネルギーへの依存度の低い農業と地域コミュニティについての在り方を考察する。また、京都大学附属木津農場では、農エネ併産に関する技術開発と社会システム構築に関する学際融合研究をグリ�
�ーンエネルギーファーム(GEF:Green Energy Farm)と呼称し研究を推進している。本報告では、京都大学GEFに関する取り組みも紹介する。

討論者   松崎宣明先生 (NPO PV-Net) 「ドイツでの事例を参考にしながら」
要旨
NPO法人PV-Netの国際業務部に所属し、一市民の立場から、過去数度にわたりドイツを訪問、ドイツ連邦政府の再生可能エネルギーご担当者にご協力をいただき、ドイツ再生可能エネルギーの状況について、定期的にご教示をいただいてまいりました。日本における太陽光発電の出力抑制との比較事例として、ドイツにおける再生可能エネルギー電力の優先接続および優先買取の状況、ならびに2014年に行われたドイツ再生可能エネルギー法改正の内容についてご紹介をさせていただき、討論の素材にしたいと思います。

会場参加者を入れての討論15 分

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12:15-12:45 理事会開催(507 教室

13:00-15:00 セッション4  日韓ジョイントセッション「民主主義 市民社会の役割」 (503 教室)

The 7th annual KAPS-ASPOS Joint Conference
Co-organization: Kyoto-Nara EU Association

“ The Role of Civil Society in Changing Democracy”

General Manager: Hiroyuki Mitsuishi(Kyoto-Nara EU Association)

Opening Remarks: Yoshinobu Araki (Musashino University)

Session 1: 13:05 -14:45

Chairman: Hongik Chung (Seoul National University)

1. Yoneyuki Sugita (Osaka University)
“US Pivot to Asia and Japan’s Development Cooperation Charter”
2. Jin-Ho Jang (Gwangju Institute of Science and Technology)
“Debates on the Nature of Capitalism in Contemporary South Korea”
3. Ayako Nakamura (Tohoku Universty)
“Regional Cooperation and Securitization of Human Trafficking in Northeast Asia”

Discussant:
Mieko Nakabayashi(Waseda University)
Wonho Jang(University of Seoul)


Session: 2 15:05 -16:45

Chairman: Tatsuro Niikawa (Doshisha University)

1. Mika Ishida (Osaka University)
“Jury Trials under the U.S. Civil Administration of the Ryukyu Islands (USCAR)
Court,1963-1972”
2. Sukki Kong (Seoul National University Asia Center)
“Community Politics of the Korean Engagement in Social Economy”
3. Young-Choon Kim (UNIST)
“Corporate Engagement with Community in South Korea”

Discussant:
Yoshito Ishio (International Christian University)
Wonho Jang(University of Seoul)

Closing Remarks: Hyun-Chin Lim (President of Korean Social Science Research Council)

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韓国研究者との懇親会 時間:18:00~20:00

場所:「和食 えん 汐留店」ゆりかもめ 新橋駅 徒歩5分
http://r.gnavi.co.jp/g620603/
会費:7000円(料理5200円と飲料代)

2016年第7回関西政治社会学会研究会同志社大学人文科学研究所 共同研究会ご案内


後援団体 日本カザフ研究会 市民環境研究所
日時 2016年12月15日(土)17 時3 0分-20時00分 (150分)
場所 同志社大学烏丸キャンパス志高館1階 教室:SK119(収容人数100名以上)
日時 2016年12月15日(土)17 時3 0分-20時00分
場所 
参加自由、参加費無料 (映画上映へのカンパ)
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開催 挨拶 17時30分 - 17時35分
三石博行 (NPOPV-Net副代表)
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映画 『わたしの、終わらない旅』 坂田雅子氏(ドキュメンタリー映画監督) 上映  (80分)
時間 17時35分 ? 19時05分 (90分)
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http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
製作・監督・撮影・編集:坂田雅子
プロデューサー:山上徹二郎/
編集:大重裕二/
整音:小川 武/
製作協力・配給:株式会社シグロ
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作品紹介
http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/story.html から
「聞いてください」子どもたちのために
そして、まだ生まれていない未来の子どもたちのために
2011年3月。福島第一原発の事故の深刻さが明らかになる中、捉えようのない不安を胸に坂田雅子は亡き母が遺した一冊の本を手に取る。「聞いてください」と題されたそれは、母が1977年から続けていた原発を問うミニコミ紙をまとめたものだった。
フランスの再処理工場近くに暮らす姉からの1通の手紙をきっかけに反原発運動をはじめた母は、最期まで原発のことを気にかけていた。そして起こった福島の事故??。
私たちはどうしてここまできてしまったのだろう?
仏・国際環境映画祭審査員賞、
毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞ほか受賞の坂田雅子監督が、
核の時代とその未来を問う旅に出る。
『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』で世代を超えた枯れ葉剤の被害を描いてきた坂田雅子監督が選んだ新たなテーマは「核」。
福島第一原発の事故がもたらした現実に心震えながら、今は亡き母が数十年前から続けていた反原発運動の意味に、改めて気づいた坂田。彼女は、母親と自身の2世代にわたる想いを胸に、兵器と原発という二面性を持つ核エネルギーの歴史を辿る旅に出る。フランスの核再処理施設の対岸の島に暮らす姉を訪ね、大規模な核実験が繰り返し行われたマーシャル諸島で故郷を追われた島の人々に出会い、そしてカザフスタンでは旧ソ連による核実験で汚染された大地で生きる人々をみつめる。
広島・長崎・第五福竜丸、3度もの被爆を体験した日本。しかし「核の平和利用」を夢みて、原発を推進してきた私たちの時代。
「聞いてください」核に翻弄された人々の声なき声を。
坂田雅子監督による渾身のドキュメンタリー。
坂田雅子氏(ドキュメンタリー映画監督)
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プロフィール
「1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、夫のグレッグ・デイビスの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意し、ベトナムと米国で、枯葉剤の被害者やその家族、ベトナム帰還兵、科学者等にインタビュー取材を行う。2007年、『花はどこへいった』を完成させる。本作は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて?アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ」を制作し、ギャラクシー賞、他を受賞。同年2作目となる「沈黙の春を生きて」を発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞にも選出された。
http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/director_cast.html
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19時05分-19時15分 (10分)
休憩
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討論会 19時15分 ? 19時 45分  (30分)
坂田雅子氏(ドキュメンタリー映画監督)を囲んで討論会
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19時 45分 ? 20時00分 (15分)
閉会の挨拶
新川達郎氏 同志社大学大学院教授
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懇親会20時10分 ? 21時45分 (90分)
場所 芙蓉園 (烏丸今出川交差点西に50m)
参加費 最低2000円(その時の注文によって値段変更)、但し、学生1000円のみ

故岩松弘先生の教育(1)「アクティブ・ラーニング型授業」

今朝、NHKのニュースで「アクティブ・ラーニング型授業」について紹介されていた。この「アクティブ・ラーニング型授業」は、日本人に取って、大切な教育だと思う。

私は、この「アクティブ・ラーニング型授業」を中学校3年(1963年)の時に経験していた。当時、担任であった故岩松弘先生が、「道徳」(?)の授業の時に、生徒に課題を与えて、自由に議論をさせていた。先生は何一つ言わず、また、最後の何一つ結論も言わなかった。それで、授業の間、私たちは議論し、その後も友達同士で話が続いた。つまり、「自分の力で考える」授業だった。私は、この授業が何よりも好きだった。先生のテーマは、「身近な人のことを考える」テーマが多かった。自分がその時どう理解し、何をするべきかを考え、また話し合う授業だった。

良く図書館に行った。そして本を探した。当時の私は「白樺派」だった。甘い人道主義的理想主義者だった。それで、武者小路実篤やロマンローランを読んでいた。これらの読書も、この「アクティブ・ラーニング型授業」に刺激されたのだと思う。

自分の力で考えるという事は、その文字通りに自分ひとりで考えるという事ではない。友人と話し、読書をし、ニュースや新聞を読み、社会の現実を自分の目で観て、考えるという事だ。そのためには、自分の自然に、いつの間にか考えていることを知る必要がある。自分の考えていることを知るために、人と話をするのだと思う。人との話を通じて観えるのが自分の姿であった。それを「自分で考えること」と言うのだと思う。

岩松先生は、この授業で、身近な話題「テープに録音されたテーマ」ばかりでなく、短編の小説を読んで聞かせ、それについて議論をさせた。自分の作品(岩松先生は小説家としても有名で、九州で幾つもの賞を取っていた)とそうでない作品を出して、どちらが聴きたいと聞いてから、その一つを読んでいた。もちろん、どちらが先生の作品かは知らなかった。読み終わった後で、それが先生の作品だったと知った。

それらの読書を通じて、やはり、「読書話し合い」が行われた。先生は、その時も、何一つコメントしなかった。最後の最後まで。自分の作品であっても、コメントしなかった。一つの小説は、恋愛もので、きわどい大人の愛が表現されていた。そうした作品に私達は触れながら、中学3年生では想像できない世界を観た。これまでの少年期に植え付けられたモラルでは計り知れない世界があった。丁度、初めて森鴎外の「舞姫」を読んだ時のような、苦しく、怒りの、そして自分の価値観を越えた世界であった。それは大人の世界と呼ばれていた世界だった。今から想えば、それは、思秋期から青年期に向か私に、人間・自分についての問題提起を与えていたのだと解釈できる。

この授業の後、親友とあの大人の愛について語った。すると彼は、自分の家であった両親の出来事を話してくれた。そこには、彼の父親への感情、それはもう子供ではない一人の人間としての感情が彼にはあった。そうして、大人の入り口、決して人道的理想主義者でしかなかった私に大きな課題を突き付けていた。その問いかけは、30を過ぎ、多くの失敗、人を傷つけていた自分の現実、その時まで続いていた。

「アクティブ・ラーニング型授業」とは、多分、その授業時間にその成果があるのではなく、その授業が終わった生徒たちの生活の中で、授業の意味、授業が目指した教育が発揮されるのだと思う。否、それどころか、生涯を通して、その授業の課題が、私たちの生活の中で、際限なく問われ、生きる環境や時代の変化に合わせながら、その回答を求め続ける。そればもっとも素晴らしい「アクティブ・ラーニング型授業」の例ではないかと思う。

日本の教育で最も問われているのは「人間力」だと数年前から言われ続けて来た。人間力とは、まず、自分で考える・友達と真剣に話し合える技術から生まれるのだと思う。そのための「アクティブ・ラーニング型授業」のやり方を現場の先生たちに考えて欲しい。何故なら、人間力を身に付けることが「アクティブ・ラーニング型授業」の教育課題であるからだ。

しかし、どうだろうか。はたして、教師が生徒に「人間力を身に付ける」ことが大切だと説教しながら、人間力を生徒に教えることが出来るのだろうか。と言うのも、生きるという課題は、それぞれの主体の抱えた主体(自分)にとっての課題であり、他者かた迫られる課題ではない。己がそのことに目覚め、そのことを目標にして初めて可能になる課題である。そして、そう自らが決め、立ち向かった時に、その課題「人間力」が生まれる。教師が、その生き方をしていない限り、生徒にそのことは通じないだろう。

その上で、始めて「人間力」の具体的な教育課題が検討される。教師は、まず、「人と話せる力、自分で考える力」が何故必要なのかを生徒に教えなければならない。それは理論ではない。それは教師の人間力、生きざまなのだと思う。生きざまを問い掛けている人間であるからこそ、その生きざまを磨く「人間力」を他の人々と共感できるのだと思う。そうした人間力を課題にする教師を、日本の教育現場、特に初等中等教育(小学校から高校まで)の現場では求められている。

多感で感受性の豊かな時代に、人間教師と出会うことは、その人の人生に大きな影響を与える。それこそ、日本社会の最も大切な文化的人的資源だと思う。教育を大切にする社会には、未来がある。その教育の中心が人間力を育てる教育だと思う。だから、学校や社会で「アクティブ・ラーニング型授業」について考え、それに協力し、素晴らしい授業例を紹介し研究し、研修する作業が必要となる。それを始めるべきだろう。

岩松先生がこうした「アクティブ・ラーニング型授業」を出来たのは、彼が、彼の人生の中で、苦悩し、必死に生き、友人たちや家族を愛し、生徒を愛していたからだろう。そのことが、この「アクティブ・ラーニング型授業」を行う教師に最も問われる課題ではないだろうか。

岩松弘先生は、自らが完全な人間だとは言わなかった。いつも、私たちに自分の弱さを見せてくれた。その度に私は先生が好きになった。大人が子供に真剣になるという事は、つまり、真正面から、一人の人間として向き合うとこだ。つまり、カッコいい分かったふりは要らない。一人の生身の人間として、その矛盾も弱さも、すべて子供に見せながら、子供とともに考え、そいて生きている生身の自分を見せることだ。それから、初めて、子供と話ができる。親とはそんなものだ。子供を育てること、それは子供に育てられていることを知ることから始まる。それが教育の原点だと思う。

「アクティブ・ラーニング型授業」は、こうした教育の原点を持たなければ可能にならないと思う。「アクティブ・ラーニング型授業」を、教授法とか授業、話し合いをさせる技術として理解するなら、多分、「アクティブ・ラーニング型授業」は成功しないと思う。

とは言え、教育現場で、この困難な「アクティブ・ラーニング型授業」を一方的に先生方に迫り、そして彼らに、困難な人間力を身に付けなさいと説教するのは無責任だと思う。

この「アクティブ・ラーニング型授業」に関して、多くの研究や研修があっていいと思う。その原則は、この「アクティブ・ラーニング型授業」を社会全体で育て、豊かにすることを社会が理解することだと思う。何故なら、家庭で、親がこどもと真剣に向き合っていないなら、子供たちに人と真剣に話し合う、向き合うという「アクティブ・ラーニング型授業」の土台が形成されていないからである。

「アクティブ・ラーニング型授業」を学校の中の、先生だけの授業として理解している社会では、人間力を育てる「アクティブ・ラーニング型授業」は可能にはならないだろう。社会全体、少なくとも生徒の親をも含む、また、「アクティブ・ラーニング型授業」を経験した大人(教育関係者以外の人を含む)も参加することが理想だろう。

社会全体が「アクティブ・ラーニング型授業」への協力をし、初めて、一つのクラスの一人の教師の取り組む「アクティブ・ラーニング型授業」が可能になるのではないか。そのための仕組みを作ることを始めなければならない。

その意味で、この「アクティブ・ラーニング型授業」の普及は、日本社会の教育文化の在り方を、国民・市民が自らの問題として考える社会作りだと思う。それは、教育こそが未来社会を創るという日本の伝統文化を維持・発展させようとする私たちの未来への責任ではないかと思う。

2016年11月9日 Blog記載