2015年1月21日水曜日

現在の世界極地戦争や国際テロの問題について問われる我々の立ち位置

日本国民として正確に情勢を理解し正しく判断すべき課題


三石博行


今世界で、地域紛争やテロと呼ばれる新しい形の戦争が起こっている。これらの戦争のスタイルに、現在の世界政治の姿が観える。つまり、圧倒的な経済力や軍事力を持つ先進国と貧困に苦しむ国で起こる過激な集団、もしくは先進国やそれに対抗する国とに政治的に分断された国際地域での紛争である。

これらの紛争の主な原因は、我々先進国が行ってきたこれまでの国際政治にある。パレスチナ問題、アフガニスタン紛争、イラク戦争、シリア紛争、ウクライナ問題等々。

そして、中東では「イスラム国」という強烈なテロ国家が出現し、アフリカのナイジェリアではボコ・ハラムというテロ集団が非人等的な行為を繰り返している。こうした紛争が、次第にエスカレートし、いつか、世界を巻き込んだ戦争に発展して行かないか心配している。

これらの問題に対して、例えばアメリカのブッシュ政権がやったように「キリスト文明とイスラム文明の対立」にすることは危険である。今回のフランスでのテロに対しても、一方的に、テロリストたちを批判するだけでなく、対立を扇動している「民主主義を主張する我々」の対応も点検しなければならない。

日本を代表して安倍総理が積極的に平和外交を進めて欲しいと願う。安倍総理が、今回、イスラエルだけでなく、パレスチナ自治区をも訪問したこと、さらにイスラエルに入植は国際法違反だと明言したことを高く評価したい。そして、同時にテロに屈しない姿勢は大切だが、同時に、テロが生まれる国際政治の在り方にも言及して欲しいと思う。

外国から観て、安倍総理を代表する自民党支持派の人々もそれに反対する人々、例えば共産党支持派の人々も、同じ日本人であることには変わりない。その意味で、日本の政治に、いかにそれに反対している場合を持っていても、日本政府が取った政治的判断に対して、共通の国際的な責任を持つことになる。それが、つまり、我々の国民としての国際的立場となる。

その意味で、こうした国際情勢の荒波に対して、世論をお越し、保守であろうと革新であろうと、日本としての立場を話合う必要がある。それ抜きには、今、国会審議されようとしている「集団的自衛権」の問題を考えることはできないのではないか。

今回、2名の日本人がイスラム国のテロリストに拉致され、殺害宣告を受けている。その理由が「日本政府のイスラム国へのテロ対策支援金」と言われている。つまり、新しい紛争の形態、国際テロへの対応には、日本の国際的立ち位置が、厳しく問われる。

民主国家日本は人権を脅かすテロを許すことは出来ない。この立場に対して、殆どの国民が同意できるだろう。そして、その決意を持って、対応する場合に、今回のように、国際テロ組織のターゲットの加わることは確実である。そこで、日本として、今後の外交を明確にしておかなければならない。それは、アメリカやEUのように、さらに軍事的な支援や介入と行うのか。それとも、日本独自のもしくは他の日本外交を支持する国々と平和的解決を提案するか。それらの厳しい国際政治の選択が問われることになる。

つまり、現政権は重大な政治選択をしなければならないことになった。今までのように、アメリカの外交政策に同調するだけでは、この困難な局面を(国民の命と財産を守るという政府の基本的使命を果たすために)乗り越えることは出来ないだろう。

政府の政治的判断に場よって、海外の日本企業がテロのターゲットになることになる。また、その逆に、他の国々から高く評価されることにもなる。これまでにない厳しい国際政治への判断が現政権に問われる。しかし、この問題の解決に対する責任を現政権にのみ問い掛けるのは、国際的視点に立つなら、日本国民として無責任なのである。

仮に、今後、新しい政権が日本に誕生しても、現政権が行う国際政策の結果を、引き継がなければならないのである。それは、ブッシュ政権が起こしたイラク戦争の結果を、好むと好まざるに拘わらず、その政策に反対したオバマ政権が引き継ぐ結果となるのと同じなのである。

つまり、今、日本国民は、一人一人が、国際的視点に立って、日本国民としての、責任を理解し、そして、この重大な局面に対して、真剣に「集団的自衛権」の問題、「平和憲法の問題」、「憲法第9条」について、議論する必要はないだろうかと、思う。


2015年1月21日 フェイスブック記載


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