2012年11月15日木曜日

行政改革を可能にする政治指導の在り方

政治改革の課題(4)

三石博行


文部科学大臣には文部科学省の行政決定権はない

9月末に新しく内閣改造が行われた。文部科学大臣に田中真紀子氏が就任した。就任の挨拶に「役人と仲良く仕事をしますと田中氏は述べていた。しかし、その言葉とは裏腹に、文部科学大臣田中真紀子氏は、三つの大学の設置許可に関する大学審議会の審議結果に反して、大学設置許可を認定しないという発言した。そのため、文科省は混乱し、三つの大学法人から抗議が起り、又もや田中真紀子氏のとんでもない発言と、マスコミや野党から厳しい批判がなされ、その後、田中氏はそれら三つの大学の認可を認めることになった。

ここで明らかになった事実は、まず、法律上は文部科学大臣が文部行政の最高責任者であることであった。その最高責任者田中真紀子氏は文部行政の全ての意思決定に責任を持つことを示した。そこで、田中氏は、法律に即して、全ての文部科学省の行政上の決定を行った。法律上、行政機能の運営に関する全ての責任を大臣が持たなければならないのである。

何故なら、日本国憲法では、議会制民主主義議と議院内閣制度では政権与党によって内閣が構成され、すべての行政機関の長、つまり大臣が選ばれる。大臣は国民の意思を行政機能に反映させ、行政機能を運営しなければならない。これが国民主権による日本の国家の運営の姿なのである。

当然の権限を行使した田中真紀子氏は何故批判されたのか。つまり、文部行政の判断は文部科学大臣ではなく、官僚が行うことになっているのか。それを世論も認めていると言うことか。事実、官僚の判断に、これまでの殆どの大臣が異論を唱えることない。官僚が決めたことに反対すると官庁の機能がマヒするか、世論が大臣の横暴を批判するか、どちらかである。

今回の場合は、三つの大学法人はすでに大学審議会の審議結果を知り、まだ認可は出ていないものの、次の年度に向けて、大学説明会や入試を行っていた。そのため、認可されないとなると、入学を希望し入試を受けた生徒が被害を受けることになるという事態が生じていた。そのことが、世論が田中大臣の判断に対する批判となった。

考え方を変えると、審議会の結果は大臣が正式に認可する前に、官僚によって「認可されました」とすでに大学法人に連絡があり、大学側は、その報告を信頼し、大学説明会や入試を行っていた。こうしたことはこの三つの大学に限らず、殆ど、すべての大学の認可に共通する事例となっていた。その慣習が破られたということが田中大臣への批判となった。つまり、審議会に提出された大学認可の申請は殆ど自動的に通過する筈なのに、今回に限ってたまたま大臣が田中真紀子になったために、審議会の審査で許可が下りたのに、大臣が勝手に認可しないという暴挙に出たと言うことになった。



行政機能の基本構造、行政の惰性態と保守性

社会経済の安定と国民生活の保護を第一の課題にしている政府機能において最も大切な政策はすべての社会機能が安定して動くことである。言わば、政府機能とは政策の惰性態や保守性を基本として動いている。その機能が最も行政機能の重要な働きを占めている。

役所は融通が利かないとよく言われる。それは当然の事である。もし、役人が市民のためにと、規則を無視して、また法律を無視して、融通を利かせる行為をやり出したら、役所は混乱するだろう。役人の個人的感情や配慮で、行政的対応が異なることが当たり前になる。すると、ある人は、親切な役人に対応してもらって非常に得をしたが、その友人は、融通の利かない役人に対応されたので、何もして貰えなかったということが起る。それを防ぐために、強かな住民たちは、土産をもって役所に出向くようになる。そして、こんどは沢山土産を持ってくれば融通が利くということが常識化することにならないだろうか。

役所は平民を支配管理するために存在し、役人が人々の上に立っていた時代には、勇気ある役人が自分の首を掛けて、ある困った人を助けるという話もあるだろう。つまり、その規則違反をする役人は、その違反行為に対して自らの辞表を掛けての行為を勇断し、そして、困った人の命を救い、最後は、役所を去って行くことになるか、場合によっては、役所に反抗することにもなる。この役人の行為は美談として平民社会に伝え続けられるかも知れない。

しかし、それが許されることは殆どない。例えば、2010年9月7日の尖閣諸島近海での中国漁船衝突事件があったが、その時、中国漁船員の暴力的な挑発行為が巡視船の隊員によって撮影されていたのだが、公開されなかった。当時は、中国政府は、日本の海上保安庁が中国漁民を不当に逮捕したとして激しく国際世論に訴えて非難した。国会議員たちはこの映像を見ることができたが、国民は見ることはできなかった。そこで、ある海上保安庁の職員が辞表を覚悟で、その映像をインターネット上で公開した。勿論、政府からはその職員の処分を行うべきという意見がでた。職員は海上保安庁の命令(国家公務員法 第100条 第1項に定められている守秘義務)を破って、「機密情報」を公開したことになる。その違反行為を厳密に処分しないと、今後、また、こうした公務員の勝手な振る舞いが横行するという意見であった。しかし、世論はその職員の勇気を称え、政府民主党の弱腰外交を非難し、それに乗じて自民党は政府の中国外交を批判した。結果的には、機密漏洩を行った職員の処分(厳しくはなかったが)は行われ、その職員は辞職した。

つまり、行政機能を維持する役人は、その機能の持つ惰性態(日常的業務)を維持するために、良し悪しに関係なく公務員が自分の判断で制度上許されないこと、つまり勝手なことが出来ないようになっている。これが行政機能の基本的な構造である。日常的な業務を繰り返し行うように行政機能は作られている。これを行政の基本的な機能として「政策の惰性態」と呼んだ。(1)

言い方を変えると、行政改革を行政機能は出来ないように作られているのである。市民が、役所に行って、役所の制度を変えるように訴えても、役人にはその気持ちが解ったとしても、先頭を切って、役所の改革に取り掛かる権限は与えられていない。彼らに出来ることは、現行の制度内で、つまり行政上許された範囲内での対応を行うことのみである。良心的な役人たちは、こうして市民の要求に答え続けてきた。

しかし、制度自体を変え、市民の訴えに根本的に答えることは役人には基本的に出来ないようになっているのである。実際、その役人の出来る範囲内での対応の変化で、満足する市民は多いのであるが、それすら出来ないようになっているのである。つまり、日常的に繰り返されること以外に何かを特別にすることが大変なように習慣づけられているのが役所の仕事なのである。



行政機能の改革や改善作業、立法機関の課題と責任

では、官僚や役人は基本的に行政改革を行える立場にもないし、そうした権限を与えられていないとすれば、誰が、行政改革を行うのだろうか。つまり、役所の機能を社会の現実に合うように改革するのは誰だろうか。こんな疑問が発せられるのは、この国に定められている憲法をよく知らないからだろうと言われても仕方がない。

役所は決まりによって動く。その決まりを決めるのは議会である。つまり、議員達に役所の運営を変える権限と責任がある。もし、自治体の役所がうまく機能していないなら、その責任は基本的には首長にある。国なら内閣総理大臣にある。そして直接的には、自治体なら役所の責任者にあるし、国なら各庁の最高責任者・大臣にある。これが我が国日本の民主主義社会の行政機能の在り方、運営の仕方である。

自治体や国家の立法機関の機能とは、政策の惰性態(お役所や官庁の仕事)に関する点検や改善を行うことである。行政機能(お役所や官庁)は政策の惰性態を前提にして動く限り、その惰性態(日常的なルーチン業務)によって生じている行政の非効率や機能不全を自浄する機能を自ら備えていない。その行政機能の改善を行う機能として立法機能がある。何故なら、行政機能は法律によって動くように定められている。行政が効率よく動く法律を決めるのが立法である以上、行政改革とは立法上の改革から始まるのが民主主義国家での行政改革である。

つまり、役人を変えるのは、彼らの良心に訴えるのではなく、彼らが市民のために働けるように決まりを変え、制度を作る必要がある。それが出来るのは議員である。つまり、その改善を市民から選挙を通じて委託されている人々である。

立法機関は、政策の惰性態を見直し、その政策の機能を回復させるために、その政策の改善に必要な処置、つまり部分的変更、補足、もしくは全面的廃止と新たな政策提案を行うことである。行政機能は立法化された制度によって運営されている以上、行政機能のマヒの責任は立法機関にある。もし、行政機能が立法(法律)に反する行為を行った場合には、その責任は行政担当者に重く科せられている。それを公務員の国民に対する義務と呼んでいる。



行政改革を進める政治指導とは何か 田中真紀子大臣が起こした波紋とその課題

田中真紀子文部大臣は三つの大学認可に異議を唱えるに当たって「現在の日本の高等教育は、半数の大学が定員割れを起こし、大学教育の劣化、国際競争力の低下という重大な問題を起こしている」と指摘した。田中大臣は、その大きな原因として大学審議会がこれまで行ってきた認可行政を指摘した。

この田中氏の行為を最も評価する視点で語るなら、政治家である田中氏は、予め、三つの大学の許可に異議を挟むことで、文科省の官僚、世論、野党がどのように動くかを計算していたのかも知れないと言えそうだ。そして、事態は彼女の予測した通りに進み、世論が騒いでくれた。殆のマスコミが田中氏を批判した。しかし、その報道の1割ぐらいが、現在の大学教育の問題を取り上げた。その結果、大学改革を次の文部科学省の教育改革の課題に入れることに成功した。3ヵ月の大臣任期を前提にして、「こう(三大学設置認可拒否という常識では考えられない大臣の行動)でもしないと役所は動かない」と語る田中角栄の娘である真紀子氏が取った強かな政治であったとも解釈できる。

これが、田中真紀子大臣の行為を最大限に評価した解釈である。しかし、この解釈は多分、多くのマスコミでは、一笑に値すると言われるに違いない。そして彼女を「暴走オバサン」と呼び、日本の深刻な大学教育問題でなく、審議会の審査結果を無視し、三大学を困らせた非常識の大臣の問題として、今後は取り上げられるに違いない。

国会での問責決議と騒ぐ自民党は、まさに、日本の大学教育をここまでも荒廃させた責任を感じていないのだろうか。そして、これまで、民主党で文部科学大臣をやってきた政治家は、田中真紀子氏の行動をどう評価しているのだろうか。

田中真紀子大臣の行動に対して自民党幹事長の石破氏は「手続きを理解しない行動」であると批判した。この発言は田中氏の行動を批判する一つの理由となる。つまり、田中大臣は行政機関の最高責任者として、その行政機能の惰性態を理解し、そこで生じる問題を行政自体の問題として提起するのでなく、大学改革を行うための審議会や第三者委員会等々の制度・法律改革のための超党派での国会議員の活動、つまり立法機能がやるべき課題として提起すべきであったとも言える。

それは田中氏個人の問題でなく、民主党の教育行政に関する問題である。民主党は、政権当初から我が国の高等教育に対する方針を持っていなかった。そのため、極めて深刻な大学教育問題が放置され、半数近い大学が定員割れを起こし、中小大学の教育能力は劣化の一途を辿り、自民党政権の教育に自由競争を取り入れた政策上の問題が拡大しようとしているのである。(2) 勿論、大学教育機能に自由競争を取り入れることによって多くの高等教育の課題が前進したことは事実である。しかし、教育現場では、教育産業の熾烈な自由競争に打ち勝つために、企業化した大学間の厳しい経営戦争に生き残るための日常的な対応に追われているのである。今回の問題でも、三大学法人が慌てふためいた理由に、生き残りを掛けた大学法人の必死の大学改革の動きが背景にある。

大学教育の改革、21世紀社会に貢献する高等教育の在り方、国際競争力をもつ日本の大学等々の課題に、現在の大学法人が無関心である筈がない。こうした大きな教育改革への教育行政的課題は民主党や自民党の政治家よりも、文部科学省の役人や現場の大学教育者がひしひしと感じていることも事実である。大学改革を望んでいる教育現場や文部科学官僚の要請に応えられないのは立法機能の責任者達(政党や議員)であることは否定できないだろう。

この意味で、田中真紀子大臣の初めから解散を前提にして成立した新内閣の閣僚田中真紀子氏の思い切った「肉を切らせて骨を切る」勇気ある行動を称えたいと思う。しかし、同時に、行政改革のための地道な手続きを行う時間と手法の必要性も政治家として立法機能の不在を自己批判しながら、改革のための手続きを示す必要があったと痛感する。

しかし、現実の我が国の国会では、国の在り方を問うことが、具体的な政策を検討することでなく、政局を議論することになっているようだ。この政治環境では、永遠に行政改革を行うことは出来ないだろう。ましては、この政治家どもを正すための政治改革など夢のまた夢だろう。



高等教育改革を提案するための必要な手続きを仮定すると

今回、田中真紀子大臣に与えられた高等教育改革の政策提案と実現の時間は余りにも短いために、本来あるべき手続きを述べても、それは、寧ろ、田中大臣に「高等教育改革の提案は今回は無理」ということになる。そこで、田中大臣が、十分に時間を与えられているという仮定の上で、政治指導の路線で、高等教育改革を提案する場合を考えて、その手順と方法を検討してみよう。

1、 民主党のマニフェストの高等教育の改革提案が現実の問題に答えるものでない場合、田中真紀子議員は、それらのマニフェストを見直し分析し、問題点や不十分な箇所を修正変更し、自らの提案を加えて、民主党の教育政策委員会(存在すると仮定して)に提出する。

2、 文部大臣からの提案を受けて、民主党内では教育政策委員会のメンバーが検討会を開く。民主党教育政策委員会議員は、民主党の教育政策を具体的に検討し政策提案をサポートする専門家会議(存在すると仮定して)に、文部大臣からの提案の検討を依頼する。

3、 民主党教育政策委員会専門家会議はその提案を受け、専門的調査研究活動企画を委員会に提示し、専門家会議を行い、専門家会議としての答申を出す。

4、 教育政策委員会では、専門家会議の答申を受けて、専門家会議の委員若干名を入れて、委員会を開き、教育政策委員会としての「文部科学大臣からの政策課題提案に関する答申」を出す。

5、 文部大臣は民主党教育政策委員会からの答申を文部科学省内で検討するために、文部科学省内に「高等教育改革プロジェクト・会議」を組織し、この課題を検討するために必要な人材を集める。省内の専門家以外に、民主党教育政策委員会議員、他の省や民間団体、シンクタンク、教育機関から必要な人材を集めることが出来る。

6、 「高等教育改革プロジェクト・会議」は民主党教育政策会議から出された「文部科学大臣からの政策課題提案に関する答申」の具体的検討、分析、解釈を行い、その修正や補足をし、「文部科学大臣からの指示による高等教育改革案に関する答申」を作成する。

7、 それらの答申は、文部科学省の中にある各党の議員、官僚、専門家によって作られている「高等教育政策委員会」(在ると仮定して)に掛けられる。

8、 その「高等教育政策委員会」での議論を経て、「高等教育改革プロジェクト・会議」は具体的な法案作成を行う。

9、 「高等教育改革プロジェクト・会議」の具体的な法案や制度改革の提案を「高等教育政策委員会」が検討し、承認、訂正、補足を行い、「高等教育政策委員会」の最終的な提案を作る。

10、 文部科学大臣は「高等教育政策委員会」の最終的な提案を国会でさらに検討し、訂正、補足を行い、国の高等教育改革の政策として確立する。

以上である。



しかし、現実の政治家の関心は

しかし、この手続きを行うためには、政権は少なくとも4年は安定している必要があるし、大臣も最低4年間の任期が必要である。つまり、上記した手続きが出来る政治的環境にないことが、さらにこの国の政治を混乱させ、国を疲弊させつづけている。

そろそろ、国益のために、政局論争をやめて、政策論争と国家の在るべき姿を議論し、国民からの意見を聞くべきではないかと思う。しかし、今日も、「太陽の党」が発足し、原発事故、今後のエネルギー政策、東アジアンの平和的共存、赤字債権問題等々は、「大切な問題」かもしれないが、大同団結して自分たちの権力を取る課題に比べれば「些細な」ことであると言っているようである。

かっての若き憂国の士は「暴走老人」になったのか、それとも「ぼけて」しまったのか。



参考資料

1、三石博行 「体制の保守、改革と破棄と呼ばれる政策の三つの形態」2012年11月7日 http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/11/blog-post_7.html

2、三石博行 ブログ文書集「大学教育改革論」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/04/blog-post_6795.html

3、三石博行 ブログ文書集「国民運動としての政治改革」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_9428.html

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