2012年2月29日水曜日

プログラム科学論研究のあり方

理論的なものは実践的であり、実践的なものは理論的である

三石博行


社会生活生産活動の装置としての理論

人間社会文化現象の理解のための作業を人間社会学と呼んでいる。時代や社会によってを、人々が抱える課題は具体的には異なりながら、しかしその課題の基本には人間社会文化のあり方という共通したテーマが付きまとってくる。

言い換えると、生きているという人々の現実として人間社会文化の課題がある。その課題に対する解答を得るために、用いられる方法や技術を人間社会学と呼んでいる。つまり人間社会学とは、現実の生きて生活するための知的活動の道具や装置であるといえるだろう。

それらの理論の有効性を検証する手段は、それらの理論が示す方法や論理が実際の問題解決のために有効な分類や分析方法を与え、そして実践的な解決の糸口(対策)の提案を導くことができるかどうかという点のみである。つまり、現実の問題解決のために有効な装置(方法と論理)として機能しない限り、理論としての有効性は実証されないのである。


社会生活運営活動の装置としての制度

また、知の有効性はその方法や論理のみでなく、その知を運営する社会システムの問題に繋がる。つまり、知的活動はその知的活動を保障する社会制度によって確立しているといえる。

ある個人が科学的思索を行うということおいて、知的活動は個人の生活行動であるといえる。しかし、その個人的行為が、社会的行為となるためには、行為主体が個人から集団へと移行しなければならないだろう。

実践的に生活、社会経済(政治)活動を実現する装置として機能しない限り、知は社会的に問題解決力を持つことができないだろう。そのために、問題解決のための制度が作り出される。それが知的生産のための制度である。


問題分析のための検証活動

研究活動が具体的な対象を持つ限り、一般的な理論や一般的な研究体制をイメージすることは困難である。具体的な問題提起に対して、どのような研究方法とどのような研究システムが現実的でありより研究効果を発揮できるかが問われる。従って、それらの問題は常に時代や社会的制約の上に成立している。

研究者というある特定の時代性や社会性を前提にしながら、今、ここにという課題からすべての知的活動は束縛される。今、私は、3.11の課題を無視して、今までの研究とこれからの研究を語ることができないと思うのは決して感傷的でもなく、また流行的でもない。まさに、研究活動のあり方そのものを意味するのだと思う。

そのために、理論的検証作業として過去の学説を批判的に検討し、そして新しい切り口(仮説)の理論実証性をその論理性の中で検証しようとしているのである。それは丁度、理論式を検証するための計算機実験と類似している。繰り返し行われる計算機実験のように、人間社会学の理論(切り口)の有効性も、解釈可能な事例を多く取り出しすことによって、理論的な確かさが検証されていく。そういて仮説が生まれる。

そして、仮説の正しさは、唯一、現実的な課題の解決に対し有効であったかどうかという結果で評価されるのである。


自己組織性の設計科学(プログラム科学論)の理論の検証活動

人間社会文化現象を理解するためのこれまで人間社会学の中で用いられた用語、それらは何々学派や何々主義と呼ばれる学説に付随する用語として使われてきた。

例えば、社会実証主義では、統計学的方法が用いられている。また機能主義や構造主義では構造と機能、構造・機能の要素とその関係式、表象の記号とその意味や記号の意味するものと意味されるものという用語、そして現象学(現象学的な社会学)では内的要素と外的要素、役割意識と社会制度という相補的関係性、さらに解釈学では解釈主体や解釈行為の社会性や時代性と解釈対象(テキスト)の関係などが挙げられるだろう。

自己組織性の設計科学(プログラム科学論)の理論(仮説)を検証するためには、まず、上記した今までの人間社会学の理論で説明された解釈をすべて説明できなければならないだろう。その作業が上
記した計算機実験である。この作業は研究室や書斎で、しかも一人で十分可能だろう。殆どの人間社会学、特に哲学系の研究者の作業はこの計算機実験の作業を意味しているようだ。

しかし、それでは「自己組織性の設計科学」の理論は成立もしていないし、その有効性も検証されている訳ではない。その検証は検証しようとしている私の生き方や考え方に直接関係するだろう。つまり、私の問題意識にヒットして、阪神大震災や東日本大震災、福島原発事故等々の課題に関係しながら検証作業が提案される。

勿論、その場合、私はこの検証作業を進めるために書斎や研究室にこもっては出来ないことは確かだ。そして、現場とよばれる現実社会の中に飛び込み、目で見て、人に合って、話を聴き、また語りかけ、生活活動としてそれらの理論を検証、展開していくことになる。


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2012年2月22日水曜日

感謝の気持ちを持つとは何か

商品化した他者の再生は可能か

三石博行


抽象的に感謝の気持ちが湧くだろうか

よく感謝の気持ちをもって生きるという道徳心が語られる。この「感謝の気持ちを持つ」ということばは、道徳的なことばとして語られる場合、そのことを実践的に理解する上での困難さや疑問に出会う。しかし、「感謝の気持ちを持って生きる」ということに疑問を投げかける人はいない。何故なら、それは人として大切な心遣いであるということが余りにも自明であるとされているからである。

感謝する、人に感謝するという感情は抽象的な対象、人に対して沸きあがるだろうか。感謝である以上、何か具体的な内容、感謝すべき内容と、具体的な対象、感謝したい人(具体的な個人)がいるはずである。その意味で、感謝という感情を人という一般的な対象に対して、一般的な気持ちとして持つことは、何か無理があるように思う。

同じようなことばとして「生かされている自分」への自覚という概念がある。人は一人で生きているのではなく、人々は協力しあい支えあい生きているという当たり前の考えに立って、自分だけで生きているという考え方に対する批判的な視点を、この概念は与えている。生かされている自分の自覚と人への感謝の気持ちとは、前者が生きている自分の現実を意味し、後者は生きている中での具体的な他者からの行為に対する感情を意味している。

従って「生かされている自分」の自覚(意識化)は、人間が社会的存在であることの自覚として理解される。この意識は具体的な誰かに対してや何かに対してという感情ではなく、自分が生きて来た(生きている)現実に対する自己意識的な生きてきたという解釈(主体性論)から、多くの人々の労働や行為によって生かされているという解釈(社会文化環境論)へ変換、つまり理解や解釈の変更を意味する。

しかし、「生かされている自分」という気持ちが「感謝」と結び付くとき、「生かされている自分の現実」に対する解釈が、より具体的な事実(出来事)や具体的な個人に対する感情として、それらの人々によって今まで生かされてきた自分への自覚となる。その場合、「努力し状況を切り開いてきた自分(主体的に生きている自分)」という解釈から、「誰々(具体的個人)の何々という協力(具体的な行為や物質的根拠を背景にした助け)に対して自分ひとりではどうにもできなかったある具体的課題を解決、もしくは解決の糸口を見つけた」ことに対する感謝の念を抱いている心理的状況を意味している。その場合、「生かされている自分」という自覚は、何か具体的な課題が前提にした誰か具体的な人への「感謝」であるといえる。

もし、人は漠然とありがとうという気持ちを持ち、抽象的に感謝の感情を抱くことはないのなら、「人に感謝の気持ちをもって生活する」という道徳的な教えは、もっと説明が必要になるだろう。そして、感謝を一般的に「有難いと思う」と語ることは、実は感謝の本質を理解していないと批判されても仕方がないのではないだろうか。この感謝を道徳的なテーマとして提案することに対して、ここでは批判的に検討してみる必要がある。

見えない人々の絆や手助けに対する繊細な感情

「感謝の気持ちをもって生活したか」という項目を一日の反省の課題に取り入れるなら、その点検作業をどのように進めるだろうか。前記したように、今日一日の生活の中で、具体的な課題である誰かに対して感謝の念を抱く経験をしたかとうい事になる。しかし、もし、感謝の念という感情を、他者のある積極的な行為に対する感情として受け取るなら、多分、毎日、感謝の気持ちが湧くような機会には恵まれないのではないだろうか。

言い換えると、多くの人々から援助され、また手助けされる状況は、よほど大変な被害にあった状況、たとえば今回のような大震災の後に避難所生活をしているような境遇でない限り、生まれないだろう。普通は、殆ど、他人の積極的な手助けを必要としない程度に十分自分でやりくりしている。だとすると、毎日、感謝の気持ちをもって生活したかと問いかけるのはやり過ぎだと思われるかもしれない。

しかし、日常生活では、色々な他者の手助けにあっている。例えば、こうして仕事を大学の研究室で行っているのは、この大学が存続しているからであり、また、学生がこの大学に入学してくれているからである。さらに、この文章を書くためのPCがあり、それを動かす電気があり、ブログをアップする機能(インターネット)があり、また、情報処理を行う知識(それを学んだ経験)があり、そして、研究室の机、暖房器具、照明器具、知的労働を手助けするノート、筆記道具、その他の文房具、等々。数えると限りない多くのもの(過去と現在の人々の労働の産物)に囲まれていることには確かである。それらの一つひとつに対して感謝の念を持つということは、多分「それらのものを大切に使う」ということに尽きるだろう。そして、何よりそれらのものを使って、より社会に貢献する働きを行うということになるだろう。

感謝の気持ちとは、自分が支えられている具体的な現実を理解することである。人々はそれぞれの現実生活の中で生きている。その意味で個々人の感謝の内容はその人々の具体的な現実生活の中身によって異なるものである。しかし、感謝するこころのあり方には、共通したものがある。それは、自分に与えられた現実の生活を営むことができるという状況である。その状況を生み出している環境(ものやひとによって生み出された)に対する理解となる。

会社のトップの例で言うと、その会社で働く人々から会社の製品を使ってくれる消費者、そして、その会社の製品製造のための原料を提供する人々や企業等、それらのすべてに対して感謝の念を持つということになる。すると、感謝の念とは、抽象的なものではないと気付く。それは極めて具体的であり、そしてことばだけでなく、社会貢献等の社会行為や他者を利することによって自己を利すると信じる生活行為として表現されるものだと思える。

つまり、感謝という気持ちは、見えない人々の絆や手助けに対する繊細なこころ(感情)のように思える。感謝の念を持つということは、自分を取り巻く世界によって生かされている自分の現在を見つめる気持ちから生まれるのではないだろうか。


商品化した他者

もし、確りと自分の周り(生活環境)を見つめ、今まで自覚していなかった人々の労働(労力)や援助(手助け)、そしてそれを可能にしている社会、その社会のモラルに対する繊細なこころを持つことが出来れば、人々は、日常的に感謝の気持ちを持つことが出来るかもしれない。もし、これがなかったら大変な苦労をしたかもしれない。もし、この人が居ないなら、仕事は終わっていないかもしれない。もし、この社会の制度がなければ自分はこうした生活を送ることは出来なかったかもしれない、等々。限りなく、多くの条件(生活環境の)が自分を守り、自分を生かしていることに気付くかもしれない。

そして、他人の手助けで動いている社会(高度に分業化した社会・商品生産を行う社会)では、他者の労働が商品として売り出され、それを買った人は、その労働を自分のものだと理解してしまう。金を払った以上、その商品を自分が捨てようが壊そうがそれは自分が決める権利を持つと信じている。つまり、この資本主義社会は、他者の労働力(商品)を豊富に手に入れることができる。

その意味で豊かな社会、言換えるとより多くのそして多様な人々によって相互に支えあっている社会であると言える。その反面、この社会では商品化された労働、つまり具体的人々の労働の姿が見えなくなる社会でもある。それは使用価値を失った交換価値だけの商品(通貨)によってしか、商品の交換ができないからである。それ自体、資本主義社会(経済の発達した社会)の宿命であると言えるだろう。

そこで、商品に囲まれた社会で生まれ育った人々、つまり金があれば何でも買えるという考え方(我々の社会常識)をもった人々にとって、カネで自分が買った商品(品物や労働力)に感謝の気持ちを持てと言う方が無理難題、言いがかりを付けているとしか思えないだろう。これが、この社会の常識なのである。資本主義社会は、他者の労力を商品化することによって、その労力を普及させ、多様化させ、その労力の交換をスムーズにさせた。そして同時に、他者は商品化し、商品化した他者に囲まれて生活することになる。つまり、他者の人格も感情も自己に介入し自己を動揺させることも、感銘させるることもないのである。


商品に作った人の顔をイメージする力

地産地消をモットーにした八百屋の店頭に名前入り野菜が出回る。何とも安心感を持つのは、その野菜が安全だと言うだけではない。その野菜をつくった人々の顔が見えるからだろう。また、オーダーメードの商品が受けるのは、多分、自分に合った品物ということと同様に、作った職人の顔が見えるからだろう。

人々は、本来の商品交換の姿を求めている。それは、労働力(お金)と労働力(品物)の交換である。そして、その交換に必要なものは、失いかけている人の顔や関係(絆)の確認である。感謝という言葉でなく、お互いの作ったものを評価すること、そして大切に使うこと、そのことに感謝の内実が含まれているようだ。

他者の働きを評価すること、例えば、上司が自分の仕事を手伝う部下の人々への気遣い、夫が家庭を守る妻の苦労を理解してやる気持ち、同僚の作業内容を理解し彼らの力を得て自分が仕事をすることが可能になっているという気持ち等々、日常生活の中では不断に他人の働きを感謝している。そうした気持ちがあることで、家庭、職場や地域社会の和が成立している。言い換えると、日常の家庭や職場の中に、共に生活し仕事をする人々を気遣う繊細なこころを感謝の気持ちと呼んでいるのだろう。そう考えるなら、それらの考え方や感情、生き方が、自分自身にそのまま問われていることに気付くのである。私は果たして、自分の周りの人々や社会への感謝の念を持って生活しているのだろうか。

商品社会・資本主義社会では、商品に作った人の顔をイメージする力が欠落することで、より巨大な消費社会を可能にした。商品が顔を持たないことで、つまり大量生産システムが可能になることで、人々は口数の少ない商品、つまり安価な商品を手に入れることが可能になった。その意味で、資本主義社会は、広範な地域での労働力の交換に成功し、より多くの生産物をより早く、より多く流通させることが出来た。その速度に反比例するように、労働力から人の顔が消滅していったようだ。つまり、資本主義社会で、消費に感謝の気持ちがないというのは時代錯誤も甚だしい意見であるともいえる。いちいち、商品に顔を付けていたら、時間が掛かるし、大量に生産することは不可能なのだ。

しかし、この社会もようやく一回りしたようだ。人々は安さよりも安全を、均一な商品よりも個性のある商品を、既製品よりもオーダーメード商品を求めるようになった。野菜にも生産者の名前が入り、ハンカチにも作者名が入る。そしてそれらの品物を大切に出来る限り長く使う。壊れたら直し、使えなくなったらその材料で別のものを作ったりする。この行為を感謝と呼んでもいいのだと思う。何故なら、感謝とは共に生活し仕事をする人々を気遣う繊細なこころなのだから。


誤字修正 2012年2月24日
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2012年2月20日月曜日

社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題

太陽光発電の将来性と問題点

三石博行

3-1、技術開発を推進する政府・公共研究機構NEDOの役割とその課題

新しい産業の形成を個別企業独自の力で可能にすることは不可能に近い。黎明期と呼ばれる暗中模索の時代を進むには大きな経営的リスクを抱えることになる。場合によっては、未来型産業に早く投資したために倒産する企業もあるだろう。そのため、政府は新しい産業を育成するために国家は長期的な方針を立てなければならない。政府が新しい産業を擁護し助成することは、将来の国の経済や政治にとって重要であるからだ。

日本政府は太陽電池産業の育成を1974年から取り組み始めた。国家的プロジェクトを進める中で、太陽光発電技術開発や制度研究を行う公共研究機関、産官学共同研究体制、民間企業の研究開発への補助、大学での基礎応用研究への助成等々を行った。こうして今日の日本の太陽電池産業は育成、発展してきたのである。

どの産業技術もそれを支える基礎研究の成果がある。太陽光電池の基礎理論が発見され、それが産業化するまでの過程について簡単に述べる。太陽電池の原理は今から170年前にすでに発見されていた。1831年、フランスのアンリ・ベクレル(Henri Becquerel)によって電解質溶液中での光起電力効果が発見されてから、1873年の光電導性、1876年の固体状態の光起電力、1883年のセレン起電力セルと物理学での発見が過去にあり、19世紀末には電磁気学が発展し、20世紀はじめに量子力学が生まれる。シリコン半導体が見つかり、それらの固体物性の研究成果は産業に活用された。1954年にピアソンらによってp-n接合シリコン太陽電池が誕生した。そして、その翌年の1955年1月に林一雄や長船廣衛らによって日本でもp-n接合シリコン太陽電池が出来上がった。

民間企業、大学、公立研究所(電子技術総合研究所・現在の産業技術総合研究所や電電公社・現在のNTT)などの研究者によって太陽光発電の素材、半導体の基礎研究から応用研究が取り組まれ日本での太陽電池の基礎研究がはじまった。基礎研究とリンクしながら応用研究やその成果の産業化が民間企業(シャープ、京セラや松下電産)で取り組まれる。そして、シャープが1962年に変換効率10%の太陽電池の量産化に始めて成功した。ベクレルが光起電力効果を発見してから131年後にその物理現象を活用した太陽電池が市場に登場したのである。1955年1月に林一雄氏らがp-n接合シリコン太陽電池に成功してから1962年にシャープが太陽電池の量産化に成功するまでの期間を桑野幸徳氏は日本の太陽電池開発と事業化の黎明期と呼んでいる。

1974年から国家プロジェクト、サンシャイン計画が始まり、日本の太陽電池産業は黎明期から発展期を迎えることになる。NEDOの太陽光発電技術開発の経緯を示した図表12の説明によると、第一期サンシャイン計画の時代(1974年から1992年の18年間)の1980年にNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)が発足し1990年にPVTEC(太陽光発電技術研究組合)が発足した。この二つの機構、一つは公共研究機構でもう一つは太陽電池生産企業で構成される研究機構によって、日本での太陽光発電の産業化は進んで行った。この第一期では、多結晶シリコン太陽光電池の開発、住宅用系統連係系システム技術確立などが主な事業となる。

図表12、 NEDOの太陽光発電技術の経緯 ※図をクリックすると大きくなります

出典『NEDO再生可能エネルギー技術白書』平成22年7月27日

サンシャイン計画の第二期はニューサンシャイン計画(1993年から2000年の8年間)と呼ばれ、この第二期からはNEDOが中心となり、アモルファスシリコン太陽電池の基礎技術研究、多結晶シリコン太陽電池やアモルファスシリコン太陽電池の低コスト製造プロセスの研究開発が取り組まれた。サンシャイン計画の第三期はNEDOからの5カ年計画の時代(2001年から2005年までの5カ年間)と呼ばれ、この第三期では低コスト薄膜太陽電池製造技術の開発が取り組まれた。現在はサンシャイン計画の第四期(2006年から2030年まで)太陽光発電ロードマップ(PV2030+)の時代と呼ばれている。

図表13、 PV2030+による太陽光発電技術開発シナリオ ※図をクリックすると大きくなります

引用 『NEDO再生可能エネルギー技術白書』平成22年7月27日 

NEDOは太陽光発電ロードマップ(PV2030+)で2030年までの太陽光発電技術開発のシナリオ(図表13)を示した。このシナリオによると、2010年での発電コスト30円/KWhを2020年までには14円/KWh、2030年には7円/KWhにする目標を立てた。また、単結晶系シリコンのモジュール変換効率も2009年に最高16%である数値を、2017年には20%、2025年には25%にする目標を立てている。現在10年と評価されている結晶系セルの耐久性を2025年には30年にし、セルの寿命を40年とする目標を立てている。( )今後、太陽電池は薄膜法によってシリコン使用量を低く抑えると同時に、変換効率の高い接合型やハイブリッド型を導入することで、発電コストの逓減化が可能になるだろう。

サンシャイン計画の第四期では、激化する全世界の企業の価格競争、発電コストやシステム価格の急速な逓減化を可能にする新素材や新製造法の開発が繰り返される。この激化する国際競争の中で、太陽電池や太陽光発電システムの産業をめぐる環境は急激に変化し続けるだろう。その結果として、太陽光発電が世界に普及し、再生可能エネルギー社会の基礎が構築されるだろう。この厳しい国際競争と急激な社会経済改革の時代が第四期の特徴である。

それは、これまで日本の太陽電池や太陽光発電システムの産業化に貢献し続けてきたNEDO(政府の国家戦略)に対して、その役割と戦略方針、さらには機構の機能性をも問われることになるだろう。これまでの公共研究機関としてのNEDO指導力によって、今後の状況を切り開いていくためには、この問いかけを敏感に検証点検する機能性が社会経済システムの中に必要となるだろう。

3-2、俯瞰的視点に立った太陽光発電システムの技術・制度開発の課題

太陽光発電システムの多様なサポート企業、NPOの形成
今回の再生可能エネルギー世界フェア2011年のPVJapan2011展示会では、太陽電池・太陽光発電システムの生産企業、政府専門機関(経済産業省、環境省等々)、公共研究開発機関(NEDO)、民間研究開発機関のみでなく、大学、自治体を中心とする地域産業育成機関、太陽光発電システムをサポートする企業やNPO法人太陽光発電所ネットワークに代表される民間団体や気象庁など政府機関が参加していた。

その中で、太陽光発電が普及することによって生まれる消費者のニーズに答えて事業を展開しているベンチャー企業があった。例えば、英弘精密の開発した全天日射計(図表14)(写真1)によって太陽光を正確に測定することができる。その測定から得られたデータ(傾斜面日射量)から、太陽電池の発電効率を計算するための重要なパラメータが得られる。そこで、太陽光発電システムを設置する場合に、設定場所や設置環境で最大の発電効率を得るためにこの全天日射計が活躍する。

また、太陽光サポートセンター株式会社では太陽光発電システムのメンテナンスをサポートしている。今後、住宅用の太陽パネルの設置は増えつづける。個人や団体が太陽光パネルを設置した場合に、そのメンテナンスが必ず問題となる。太陽光サポートセンター株式会社はそのニーズに答えようとしている。また、電力会社が太陽光発電量や風力発電量を予測するために、日本気象協会は日照時間や風力の情報を提供するサービスを開始している。

また、今後、益々、重要なエネルギー源となる太陽光発電(最も多い再生可能エネルギー)で機能する社会を考えるなら、上記した国民のニーズに答える事業として太陽光発電システムの多様なサポート企業の形成が進む。そのニーズを理解しながら、今後のNPO法人太陽光発電所ネットワークの役割や活動が期待されるだろう。その意味で、市民運動体NPOPV-Netが果たす社会的機能を再検討する時代が来ているのである。

写真1、英弘精機製の太陽電池評価装置の展示場

2011年11月6日 PVJapan 2011 展示会会場(千葉、幕張国際展示場)

図表14 全天日射計MS-802、(英弘精機製)

引用 桑野幸徳・近藤道雄 監修 『図解 最新 太陽光発電のすべて』p221、

太陽光発電システム(再生可能電力供給システム)を支える分散型電力供給網の構築
スマートグリッドとは、再生可能エネルギーをエネルギーネットワーク(電力と交通)と情報ネットワーク(通信と情報処理)を活用しながら、効率の高いエネルギーマネージメントを意味する。スマートグリッドは、言い方を変えるなら、再生可能エネルギーの持つ弱点を補強するために構想された電力供給システムである。

例えば、太陽光発電や風力発電は、天候によって発電量が変動する。つまり、一定電圧での安定した電力量を供給することが出来ない。つまり、再生可能エネルギーが系統に逆流することで周波数や電圧の変動(不安定さ)が生じる。そのため系統安定化の設備、蓄電池(コンデンサー機能)や安定電力供給源である火力発電所(供給側)と系統運用者(需要側)との双方で電力調整(デマンドレスポンスサービス)が必要となる。

また、単位面積当たりの発電能力が原発や火力発電所に比べて非常に小さいため、1か所の発電施設から大量の電力を供給することはできない。そのために発電施設が分散することになる。こうした弱点を補足し、または、その弱点を活かし、新しいエネルギー供給システムを構築しなければならない。つまり、分散型電力供給源による社会経済システムの構築が必要となり、電力の産地直送制度が地域的電力ネットワークと情報ネットワークの連繋によって作られる。それをスマートコミュニティやスマートシティと呼んでいる。

さらに、再生可能エネルギーを活用する社会(再生可能エネルギー社会)では、省エネ対策が重要となる。住宅内のマイクログリッドや省エネ対策をサポートするエネルギー総合管理サービスが生まれ、家庭のエネルギー費用の削減、太陽光発電設備や蓄電蓄熱等の蓄エネ機器のメンテナンスや初期投資へのサポートや、そのリース制度が作られる。

また、再生可能エネルギー社会では、省エネと生活経済意識を向上させるために、省エネへの努力を評価する制度(減税やエコポイントのような経済的インセンティブ)が作られる。その経済的インセンティブを活用して、エコや省エネに関する教育や社会活動が行われ、また、地域ぐるみの省エネへの取組(共同省エネ活動)が生まれる。それらの地域的活動によって、再生可能エネルギー社会の文化(人々の生活習慣やモラル)が形成される。

再生可能エネルギー源の弱点を補強する技術開発と制度改革によって構築されるスマートグリッドの課題を纏めると
1、 分散型電力供給源に対応する社会経済システムの構築、スマートコミュニティやスマートシティ
2、 変動型電気供給源に対応する技術開発、蓄電施設(電気自動車の蓄電池活用)、エコキュート、EV充電器、
3、 地域的電力消費社会を運営する文化の構築、個人や共同体での省エネ対策と経済的インセンティブ構築、省エネ教育

安定した再生可能エネルギー電力の供給社会を支える直流電力融通幹線網の構築
2011年12月5日の再生可能エネルギー世界フェア2011「基調講演会」で北澤宏一氏(独立行政法人科学技術振興機構の顧問)が「3.11以降の日本のエネルギーオプション」と題する講演を行った。北澤氏は、「エネルギー政策は国家100年の計である」という基調に立ち、3.11の東電福島原発事故からエネルギー政策の変換を模索するわが国の方向について語った。その一つの課題として、北澤氏は直流電力融通幹線の構築を提案した。

明治時代、東日本では、東京電燈(東京電力)の前身会社がドイツから50Hzの発電装置を購入して運用していたのに対し、西日本では大阪電燈(関西電力)がアメリカから60Hzの発電装置を購入していたことに由来し、新潟・群馬・埼玉・山梨を境界にし、静岡を分断する形で東日本で50Hz、西日本で60Hzの二つの異なる周波数の交流電気を使っている。

この二つ交流電気によって多量の電力ロスが生じている。そのため、この問題を解決するために努力を払ってきたが、今日に至るまで解決されていない。この解決を先送りにすることでこれからも日本の電力ロスが生じ続けるだろう。今年、東電福島原発による事故で、東電区間内の電力不足が生じた。東電は計画的停電を実施した。そのため日本の首都東京で停電が繰り返し起り、日本経済に大きな損失を与えた。

この問題の解決策として、直流電力融通幹線の構築が提案されている。異周波数系統間での連繋ができるため二つの異なる周波数地域間での電力の流通が可能になる。また、直流は安定度の限界がないため、長距離送電に適する。そして、交流送電に比べて直流送電は無効電力がないため、送電損失が少ない。さらに、直流方式では導体が2本でよいことから、交流方式に比べて電線路の建設費が安い等々の利点が挙げられる。勿論、直流電力のデメリットもある。例えば、大電流の遮断のための大容量遮断器が必要だか、直流の大電流遮断は技術的に難しい等々である。

太陽光発電、風力発電や小型水力発電等の再生可能エネルギー電力は、天候によって発電量が変動するため、広域(全国的)直流電力融通幹線網によって、地域的な電圧不安定性をカバーすることが出来る。しかし、現在の交流電力網では、例えば静岡県内で二つ異なる周波数の電気によって電力配線網が分断されている。そのため、再生可能エネルギー電力を地域的に安定して供給することが更に難しくなるのである。こうした問題を解決する方法として、直流電力融通幹線網の構築は必要となる。

エネルギー自給率の向上を目指すために必要な固定価格買取制度
「エネルギー政策は国家100年の計である」と言う北澤宏一氏の再生可能エネルギー世界フェア2011「基調講演会」の中のもう一つの課題は、エネルギー自給政策に関する課題であった。3.11の東電福島原発事故までの政府のエネルギー政策では、原子力エネルギーの活用によって日本のエネルギー自給率を上げる方針が取られていた。
しかし、原発事故以後は、そのエネルギー政策を大きく変換しなければならなくなっている。現在、日本社会はその課題を巡って暗中模索をしている状態である。

1999年に資源エネルギー省が試算した電源別発電原価から、原子力による発電原価に関しては、現在多くの批判が述べられているので、その値をここで議論することは避ける。その他の、火力発電の発電原価と太陽光発電の発電コストを比較すると、太陽光発電の発電コストは最も高いと評価されている。

1999年の資源エネルギー庁によると、一般水力の発電原価 13.6円(施設利用率45%で耐用年数40年として)、石油火力の発電原価 10.2円(施設利用率80%で耐用年数40年として)、石炭火力の発電原価 6.5円(施設利用率80%で耐用年数 40年として)、LNG火力の発電原価 6.4円(施設利用率80%で耐用年数 40年として)、ちなみに、当時、原子力の発電原価は 5.9円(施設利用率80%で耐用年数40年)として試算されている。

上記したように、NEDOは2010年での太陽電池の発電コスト30円/KWhを2020年までには14円/KWh、2030年には7円/KWhにする目標を立てた。つまり、2030年に太陽電池の発電コストは石炭火力発電原価に近くなると言える。太陽電池による電力のグリッドパリティ(系統電力よりも安価になる)は2030年である。これから、20年かけてようやく、石炭火力による発電原価に近づくことになる。仮に、今後、化石燃料費が高騰し続けたとしても、現在の太陽電池での発電コストは化石燃料よりも高い現実を否定できない。このことが、太陽光発電に対する批判となっている。そして、また、このことがFIT法(固定価格買取法)の導入の原因となっている。

つまり、化石燃料が枯渇する未来の問題を今から準備するために、再生可能なエネルギーである太陽光発電を普及するために、投資として太陽電池の電力を系統電力よりも高値で買い取るのである。現在の太陽電池の電力コストのハンディを政策的に解決しようとしたのが、FIT法(固定価格買取法)なのである。この制度なくしては、太陽光発電の普及は不可能に近い。

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4章「未来社会からみた太陽光発電システムの課題」
近日公開


論文「社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題 -太陽光発電の将来性と問題点- 」のダウンロード

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市場からみた太陽光発電システムの課題

太陽光発電の将来性と問題点

三石博行

2-1 、利用可能な太陽光エネルギーの量の評価

太陽から地球に到達する太陽光のエネルギーは約174PW(ペタワット)、つまり174×1000兆ワットである。この光エネルギーは大気中で吸収され海面に反射してその半分が失われ、残り半分が地表に降り注ぐ。地表に到達した太陽光エネルギーは大気、海洋と地表を熱し、最終的に宇宙空間に放出される。藤原氏によると、この太陽光エネルギーの約1PW(ペタワット)、1000兆ワット(1兆kw)を人類は利用することが可能であると言われている。現在の人類の全消費エネルギーが50倍と言われている。

また、他の地球での利用可能な再生可能エネルギーと比較してもその太陽光エネルギーは非常に大きいと言われている。例えば、山田興一氏や小宮山宏氏によると、収集可能な(利用できる)風力エネルギーは10TW(テラワット)と推定されている。つまり、太陽光エネルギーの100分の1である。

最近注目を浴びている収集可能な波力エネルギーは0.5TW(太陽光エネルギーの200分の1)であると推定されている。そして潮力エネルギーは0.1TWである。火山国日本で期待されている利用可能な地熱(貯留)エネルギーは年間50TW(太陽光エネルギーの20分の1)と推定されている。太陽光エネルギーはその他の再生可能な自然エネルギーに比べて、利用可能な資源量が大きいことが理解できる。

巨大な資源量を持つ再生可能エネルギーとしての太陽光エネルギーを活用し、新たな産業を興すことを藤原洋氏は第4の産業革命と呼んでいる。この第4の産業革命を支える社会経済システムは「太陽経済」(2009年一般財団法人太陽経済の会を設立した山崎養世氏の言葉)によって成立すると藤原氏は述べている。石炭火力エネルギーで第一次産業革命が起り、石油化学エネルギーで第二次産業革命が展開し、電気エネルギーで第三次産業革命と呼ばれる情報通信産業が発展し、そして太陽光エネルギーによって第四次の産業革命(第4の波による太陽経済社会)が起ろうとしているという考え方は現在の世界の全消費エネルギー量の50倍もある太陽光エネルギー利用の可能性から導かれる希望であり夢であると言えるだろう。

しかし、同時に2011年3月11日に起った東電福島第一原子発電所事故(以後、東電福島原発事故と呼ぶ)によって、我々は未来のエネルギーとして期待した原子力の利用の難しさを知った。また、その事故によって大量に放出した放射能物資の処理に関して、何も対策がなされていない事を知った。海外の化石燃料に依存する社会、そしてそれが引き起こす異常気象問題と国防上の問題解決として、原子力エネルギーの利用が1970年代から進んできた。

しかし、東電福島原発事故によって、その計画は大きく変更しなければならなくなっている。そして、太陽光エネルギーの利用は、3.11東電福島原発事故以来、将来のエネルギーとして大きな期待をかけられようとしている。
そして、同時に現在の人類の全消費エネルギーが50倍ものエネルギーを供給できると言われる太陽光エネルギー利用の実現可能性に関する検証が要請されている。その基本的な課題は、エネルギー変換率の高いセルや太陽光発電ンシステムの生産技術開発、太陽電池の生産に関する経済的検証、国民的な太陽光発電システムの普及に関する政治・経済・社会政策の検討等々である。それらの検証作業は言及するまでもなく科学技術的な方法によって行われる必要がある。


2-2 、太陽電池のエネルギー回収年数(EPT)・二酸化炭素ペイバックタイムの評価とその算出基準

以前から、太陽電池へのエネルギーの回収可能性に関する疑問が存在していた。鷲田豊明氏は、『環境とエネルギーの経済分析』の中で、「一般に太陽光発電は初期の設備投資の大きさに比べて経常運転のための追加的コストが少ないことから、エネルギー効率を評価する場合、エネルギーの回収可能性あるいはエネルギー回収年という基準が用いられることが多い」と述べている。

つまり、太陽電池の生産にはコストや労力が必要であるが、それが一旦設置されると電気(エネルギー)を生産することになり、電池の生産過程で投資したコストを電池の操業によって回収することが出来る。

しかし、もし生産能力が低く、しかも稼働年数が短い場合には、電池生産につぎ込んだエネルギー(電池の生産や流通に必要とされるエネルギー・カロリー量)を電池稼働によって生産されたエネルギーとして回収することが出来ない。この場合、太陽電池はエネルギー回収性がないと評価される。つまり、電池を作るならば社会は損をすることになる。この電池のエネルギー回収性は、電池の生み出すエネルギー量、例えば太陽光エネルギーの電気エネルギーへの変換効率や電池製造エネルギーを電池によって生産されるエネルギーとの関係から導かれるエネルギー回収性によって評価されることになる。

製造に使われたエネルギーを回収するための時間をエネルギー回収年という基準で表現することで、よりエネルギー回収性やエネルギー効率の概念が計量的(厳密に)表現できる。つまり、エネルギー回収年数とは、「エネルギー回収可能性に厳密な定義を与え実際の太陽光発電設備に関してこれを求めること」を可能にする経済学的概念と言える。

エネルギー回収年数 = 太陽光発電システムを製造するために使ったエネルギー量(炭酸ガス排出量)÷太陽光発電システムから造られた電気エネルギー(炭酸ガス排出量)  (式1)

鷲田氏は太陽電池のエネルギー回収年数を求めるために、「1987年度新エネルギー・産業技術総合開発機構依託業務成果報告書、太陽光発電システム実用化技術開発、アモルファス太陽電池の実用化研究」(新エネルギー財団、1988年3月)における、年間製造規模別の投入費用の試算結果を用い」て 太陽電池の量産規模が10MW(1000KW)規模/年の(第一ステップ段階、1990年)で、太陽電池の変換効率は10%と想定して、エネルギー回収年数を計算した。

鷲田氏は10MWの太陽電池を生産するために使用した原料の加工やその運搬に費やした燃料の熱量を計算し、1990年に生産された1000KWの太陽電池のエネルギー回収年数は17.85年であると述べている。この結論から言えば、太陽電池が18年以上の年月で電気を生産しない限り、エネルギー回収性はないと結論されることになる。

集積型アモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて工業化させた桑野幸徳氏(日本の太陽電池の草分け的存在)が2011年に公開した資料によると、アモルファスシリコン系太陽電池ではエネルギー回収年数(以後EPTと呼ぶ)は1年、結晶シリコン系太陽電池では1.52年であると述べられている。(出典 NEDO成果報告書「太陽光発電評価の調査研究」2001年3月)1990年の鷲田氏の算出ではEPTは約19年であり、2001年のNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の調査では、1年と算出されている。

EPTを算出するためにはそれなりの計算基準があると思われる。その中で、製造過程だけではなく(原発の電力生産コストを計算する上で、現在、原発廃棄物処理や災害事故処理のコストは計上されていないことを反省する意味で)、廃棄物処理過程も入れる必要がある。また、製造過程では原料生産、運送、加工等の主に製造運送過程でのエネルギー消費量が算出されている。しかし、同時に、その生産工程で働く人々の消費するエネルギーも換算する必要がある。

科学的に正確に太陽電池の現時点でのEPTを算出することによって、太陽電池の普及のための政策や開発改良すべき技術問題の対策が正確に、しかも現実的に可能になるのだと思われる。その意味で、太陽電池のEPT算出の基準を公開し、また専門家の中で検討する必要があると思われる。

EPTの考え方に類似するものとして、二酸化炭素ペイバックタイム(CO2PT)がある。この二つはほとんど同じ概念であるが、一方は全ての消費エネルギー量を他方は化石燃料使用量に限定していると言える。生産工程で原子力発電による電気や再生可能エネルギーによる電気を使うことによって、二酸化炭素ペイバックタイムは相対的にETPよりも小さい値をとるだろう。


2-3 、太陽電池のシステム価格、発電コストの評価

システム価格
太陽光発電システム価格(購入価格)が消費者にとっては一番気になる。システム価格はパネルの規模や太陽電池の種類(図表5)、システム構築に必要な機器、メーカ、設置する場所(工事条件)、用途等によって異なる。

図表5、太陽電池の種類と製造システム

出典 産業技術総合研究所「太陽電池の分類」(NISIt 11A,131p)

NEDOの資料(図表6)から、現在、10KW以下の系統連係型システムの価格は一般に1KWhにつき60万円から110万円(2009年のIEA ‐PVPSの資料では69万円/1KWh)の範囲である。また10KW以上の系統連係型システムの価格は50万円/1KWhから85万円/1KWh(2009年のIEA ‐PVPSの資料では32万円)の範囲である。つまり、システムの規模が大きくなると1KWhあたりの価格は低減する。

図表6 「日本での太陽光発電の導入実績とシステム単価、発電コストの推移」

出典 『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』 (ZNEK 11A p318)

また、独立型システムは一般的に二つの場合(10KW/1KWh以下とそれ以上の場合)でもKW当たりの価格は高騰する。蓄電池や関連機器の必要であることがその理由と言われている。
ちなみに、コスト構成に関してみるとシリコン系アモルファス型と微結晶シリコン型の一般的に言われる薄膜型のタイプでは原料費の割合が15%、セル化とモジュール化の費用が40%、工事費が45%である。また、単結晶シリコン型と多結晶シリコン型の結晶型タイプでは原料費の割合が35%、セル化とモジュール化の費用が35%、工事費が30%である。
上記のデータから、例えば、薄膜型は原料のシリコン(Siと今後は呼ぶ)が少なくてすむのでコストが抑えられることが言える。このように、技術開発によってコストを低くすることが可能になる。

発電コスト
発電コストとは年間経常費を年間発電量で割算して求められる。年間経常費とは、非常に簡単に説明するなら一年当たりの建設コスト分(減価償却と同じ発想で考えるとよい)と一年間の太陽電池を運転・保守経費の二つの要素で構成される。
一年当たりの建設コスト分とは、初期投資金額(建設コスト)に年経費率を掛けることで算出できる。

年経費率は経営学上の専門的な計算方式があるが(図表7)、非常に簡単に考えるなら、例えば、300万円の建設コストが掛った、しかもその300万円を銀行から20年ローンを借りているので金利を支払わなければならない場合を仮定する。太陽電池の稼動年数(耐用年数)を20年とすれば、300万円と20年間の金利(3割と仮に合計して90万円とすると)の合計390万円を稼動年数(耐用年数)20で割ると一年間平均で19.5万円の経費になる。19.5万円は390万円の5%であるので、その場合、年経費率は5%(300分の20)になると簡単に換算することにしておく。この19.5万円(一年間の太陽電池建設コスト)に一年間に必要な太陽電池の運転・保守経費を加えると年間経常費が算出できる。

図表7、発電コスト算出式 )※図をクリックすると大きくなります

出典『NEDO再生可能エネルギー技術白書』平成22年7月27日

一年間に必要な太陽電池の運転・保守経費の算出方法であるが、一般に日本のメーカが発売しているパネルは10年保証をしている。つまりその10年間の稼動期間に関しては無料となる。また、NPO太陽光発電所ネットワークに参加している場合、つまり、太陽電池を設置した人々が協同組合を作り発電所の維持管理をしている場合、その年間経費3000円やその他地震や火災等の保険に加入している場合など、その年間の保険金は、この一年間に必要な太陽電池の運転・保守経費の中に含めて計算をすることができる。

ちなみに、2009年の日本の発電コストは、導入量の約8割を占める住宅用連係型太陽発電システムでは、36円/kWhから75.5円/kWhである。また、2011年時点での平均的な導入費用 (システム価格) は住宅用で57万円/1KWhである。
しかし、上記した計算方法が政府の専門部署や民間の調査会社(シンクタンク)で採用されているとは限らない。現在、発電コスト算出基準があればその基準に従って計算すべきである。また、もし、現在のその基準設定に補足すべき要素があるなら、その基準を点検することも必要である。発電コスト算出に方法基準を決めなければならないだろう。

EPTに大きな影響を与えるシステム価格(発電コスト)
小西正暉氏達は、2003年3月のNEDOの太陽光システムのEPTの試算例を紹介している。試算条件は、多結晶シリコン、アモルファスシリコンとCdS/CdTe (化合物系)の三つの素材と、10MW、30MWと100MWの三つの異なる年間生産規模、そして、屋根への設置型と一体型の二つの設置方法である。これらの条件で18ケースのEPTの試算例が示されている。この資料に、モジュール変換効率を加えて図表8を作った。

図表8、太陽光システムのEPTの試算例(2003年3月)※図をクリックすると大きくなります

出典 NEDO 引用 小西正暉、鈴木竜宏、蒲谷滋記 『太陽光発電システムがわかる本』(KONIm 08A 37p)

この表から、発電規模が大きいほど、EPT値は少なくなり、また、屋根一体型が屋根に設置するよりもEPTが少ないと試算されている。さらに、CdS/CdTe (化合物系)はシリコン系に比べて発電効率が低いがEPTは少ないこと、また、シリコン系でも多結晶シリコン型よりも発電効率の悪いアモルファスシリコン型の方が、EPTが少ないと試算されている。
つまり、現時点でEPT値の決定に大きな影響を与えている要因は発電効率ではなく、それらのシステム価格にあることが理解できるだろう。

太陽電池設置コストの推移の要因(1993年から2009年まで)
財団法人日本エネルギー研究所が作成した1993年から2009年までの「日本での太陽光発電の導入実績とシステム単価、発電コストの推移」を示す図表6から、発電単価(発電コスト)とシステム価格は連動していることが理解できる。発電コストはシステム価格(建設コスト)によって決定されているために、この二つが連動する、つまりシステム価格が下がれば発電コストも下がるのは当然のことである。

システム価格の減少率推移から、1993年のIKW当たりのシステム価格は250万円、1994年には200万円、1995年では170、万円、1996年では120万円と4年間で半分以下(0.47倍に減少する)に減少した。しかし、1997年(106万円/KW)から2001年(75.8万円/KW )の5年間でシステム価格の減少率は3分2以下(0.72倍に減少する)である。さらに、2002年(71.0万円/KW)から2009年(62万円/KW)の8年間では僅かに10万円の減少(0.87倍に減少する)であった。日本の太陽電池システム価格は2003年からほぼ横ばいに推移している。

図表9に2001年から2010年までの日本で生産された太陽光電池総量を国内用と海外用に分けて示した。2004年まで続いた政府の補助制度が2005年で終わった。このことによって、2005年からの国内需要は、再び政府の補助金が支給される2008年まで減少し続けた。図表6で示された、日本の太陽電池生産量(累積)の増加を維持していたのは、海外用に生産された太陽電池であった。

図表9、2001年から2010年までの日本の太陽光電池生産量(海外用と国内用)

出典 (Wikipedia)

つまり、太陽電池産業は黎明期を出て、市場競争を繰り広げながら社会に普及しようとしている発展段階にある。この段階では、これまでに長年掛けて開発してきたコスト、貧弱な需要(市場)、低い発電効率やエネルギー変換効率という技術問題、等々の課題を抱えている。その段階を政府が固定価格買取制度等を設定して支えなければ、日本発の太陽電池産業はたちまちのうちに他国の企業に追いつかれる。そのことを2005年から苦々しく経験することになった。そして、その結果が、国内出荷量の減少、それによる全集荷量増加推移の減少、そして、その結果として、市場でのシステム価格の減少率低下につながったのではないかと予想できる。これまで、電卓やコンピュータをはじめとして電気機器のみならずすべての商品に謂えることとして、供給力(生産量の増加)は商品コストを下げるという経済の決まりが十分働いていなかったのではないかと考えられる。

技術開発による製造コスト削減
2011年12月5日から7日まで、千葉の幕張で国際再生エネルギーフェア2011が開催され太陽光発電に関する4つの基調講演、最新の太陽光発電システム研究に関する講習会が行われた。そのではフェアでPVJapan2011によって「太陽光発電に関する総合イベント」、展示会や講演会が開催された。イベントには、NPO法人太陽光発電所ネットワークを始めとする380以上の企業や団体が参加し、最新の技術や商品の展示や紹介がなされていた。多くの参加者が、太陽電池産業は21世紀を切り開く次世代産業への期待を抱いている。そして、この新産業に益々多くの投資が集まることが予想される。

まず、EPTの評価がその期待を実現するための経営的根拠の土台となる。もしその値が現在でも18年以上(1988年3月の鷲田豊明氏の試算)であるなら、企業も消費者も太陽電池への投資は避けるだろう。図表8に示したように、現在のEPT値は1から3、つまり太陽電池一年から3年の稼動であると試算されている。そのことは、電池生産に消費したエネルギーを、3年以内には回収することができるのであれば、エネルギー消費量からみた経営上の問題の一つはクリアーできると評価されるだろう。

次に、システム価格が消費者の需要に相関する。システム価格は太陽光発電を設置するためのエネルギーコストだけでなく、原料、加工、開発、営業等々、企業が太陽電池生産システムを運営するための全てのコスト(製造コスト)と販売コストによって決定される。システムコスト(製造コスト)を下げるために、太陽電池産業の専門化、分業生産体制、補助サービスの企業化、多種多様の企業が生まれ、それらの総合力によって製造コストは逓減することになる。

また、新しい素材や工法によって多様な太陽電池パネルが生産されるようになった。製造価格を抑えるために新しいパネルが登場し、それらが価格競争にしのぎを削ることになる。ちなみに、現在の太陽電池の種類や特徴、セルとモジュールの変換効率、利点や課題、製造企業名に関して野村証券金融経済研究所が作成した資料を図表10に示す。

例えば、結晶シリコンの材料費は製造コストの大きな割合を占めている。ちなみに、野村証券金融研究所が報告している資料によると、結晶法でのシリコンの割合は56%であり薄膜法では3%である。このシリコンの占める価格を抑えることで製造コストを下げることが出来る。また、一般に、シリコンは希少金属ではなく石英(二酸化ケイ素)の成分として地球の至る所に存在すると言われているが、最近の太陽電池需給の増加によってシリコン(Si)は原料不足を起こし、コストも上昇している。そのため、セルの材料を安くするために、単結晶シリコンから多結晶シリコンへ、さらにアモルファス(結晶していない状態)シリコンへと新しい素材でセルを生産するための開発がなされてきた。

図表10 、太陽電池の種類と特徴(変換効率、利点と課題とメーカ))
※図をクリックすると大きくなります

引用 和田木哲哉 『爆発する太陽電池産業 25兆円市場の現状と未来』p74

この開発によって、非結晶(アモルファス)シリコンによる電池が開発され、この材料は薄膜化しても一定の波長内での発電効率を十分保つことができるため、出来る限り薄膜にして電池材料に活用する薄膜シリコン法が開発された。非結晶系(アモルファス)を使った薄膜法では結晶系の生産方法(結晶法)よりもシリコン消費量を100分の1に抑えることができると報告されている。

さらに、アモルファス(非結晶系)は一般に結晶系よりも変換効率(太陽エネルギーを電気エネルギーに変換する割合)が悪い。その弱点を克服するために(薄膜シリコンは変換効率を上げるために)、薄膜シリコンを重ね合わせるセルを製造する技術、HIT(ハイブリッド型)や多接合法(吸収波長域の異なるシリコン層を積層にして変換効率を上げる方法)が開発された。例えばこの二つの工法によって幅広い波長を電気に変換することができ、セル変換効率は上がった。

薄膜シリコン法とハイブリッド法や多接合法によってシリコン消費量を抑えながら発電効率を上げる技術を開発してきた。
結晶法でもより少ないシリコン量でセルを製造する方法が開発され続けている。図表11が電力当たりのシリコン消費量の推移を示されているように、新しい工法技術によって生産電力当たりの材料費(シリコン)は少なくなった。この図表11から、2004年では、1Wp(ワットピーク、太陽電池モジュールが発生するエネルギー単位、1Wと同じ)の電力を生産するためにシリコン12g(厚さ300μm)のシリコン膜が使用されている。そして、3年後の2006年では、1Wpの電力を生産するためにシリコン10g(厚さ200μm)のシリコン膜が使用されている。

つまり、三年間に1W当たり17%のシリコン量を減らすことができた。2010年では、1Wpの電力を生産するためにシリコン7.5g(厚さ150μm 2004年の半分の厚み)のシリコン膜が使用されている。この予測によると2011年でのシリコン使用量は2004年に比較して38%少なくなる。このように、高価なシリコンを薄膜化することによって製造価格を引き下げてきたのである。

図表11 、結晶法太陽電池のシリコン消費量の推移(2004年から2010年)
※図をクリックすると大きくなります
 

引用 和田木哲哉 『爆発する太陽電池産業 25兆円市場の現状と未来』p74

国際価格競争による製造コスト削減
現在、国際的な太陽光発電産業の産業化が始まっている。2000年までは、日本、ドイツやアメリカの企業が中心であったが、2009年以降は中国、台湾、韓国などの企業が進出してきた。今回の再生可能エネルギー世界フェア2011年のPVJapan2011展示会でも、多くの海外の企業、特に中国の企業が参加していた。中国を始めとする海外の企業の参加によって、価格競争が激化する。

国際的な価格競争によってより安価な太陽電池の素材や製造方法の開発が進む。そのことにより、さらに太陽電池商品の多様化が進み、それらの多様な特徴を備えた商品がしのぎを削って電力コストめぐる価格競争に突入する。国際競争による太陽光発電システムと太陽電池産業の技術や価格の競争の激化がこれからの時代の特徴を形作るだろう。

2004年まで世界一の生産量を誇ったシャープが、その後、ドイツのQ-Cells 社に追い抜かれ、その後、Q-Cells社は中国のSuntechに追い抜かれる。一年ごとに世界トップ企業名の変更が続く。全ての企業に短期間で世界的企業に躍進するチャンスが与えられ、そして同時に、その座を他の新興企業に奪われるリスクを抱える。この熾烈な世界的な競争によって価格の逓減はさらに進むだろう。


用語解説

3、体積モル

モル(mole)は国際単位系における物質量の単位で、12グラムの炭素12の中に存在する原子の数(6.02×10の23乗の個数、アボガドロ数と呼ばれる)である。1モルの理想気体は、1気圧で0度Cの標準状態では同じ体積(22.41383リットル)を占める。(Wikipedia)その1モルの占める体積をモル体積と呼ぶ。例えば、酸素16の分子は32グラムですから、1モルの酸素(32グラム)の占める体積は1気圧、0度Cで22.4リットルとなる。(Wikipedia)

4、電気の単位

1Wは 約0.860cal (1ccの水を約0.86度C上げるエネルギー)
1000Wが1KW(キロワット)
1000KWが1MW(メガワット)つまり100万W(0.1万KW)
1000MWが1GW(ギガワット)つまり10億W(100万KW)
1000GWが1TW(テラワット)つまり1兆W(10億KW)
1000TWが1PW(ペタワット)、つまり、1000兆W(1兆KW)
(上の赤字にした部分も逆転しています。)

5、電気、熱と石油エネルギーの換算

1kWh = 1000W×(60×60 s) = 36×10の5乗 Ws = 3.6×10の6乗 J = 3.6 MJ (メガジュール)
1kWh = 3.6 MJ = 3.6 /4.1868 Mcal = 0.8598452× 103 kcal = 860 kcal
1kWhは 860Kcal
石油換算トンTOE(Ton of Oil Equivalent 定義 1TOE=10の7乗 kcal)
1TOE は1.1628万KWh
100億TOEは、10,000,000,000(TOE)×11,628,000cal = 116,280,000,000,000,000Wh
= 11.628PWh(ペタワット) =116.28兆KWh

6、タンデム(多接合)構造

多接合型(タンデム型)とは、「吸収波長域の異なるシリコン層を積層したもの。アモルファスシリコンと各種の結晶シリコンを積層したものの他、通常のa-Si(アモルファスシリコン)に吸収波長域の異なるa-SiC(アモルファスシリコンに炭素を加えてp層・プラス極を作る)やa-SiGe(アモルファスシリコンにゲルマニウムを加えてn層・マイナス極を作る)を積層したものなどが開発・実用化されている。高効率で温度特性などに優れるものが多い。」(Wikipedia)

7、ハイブリッド型(HIT型)

ハイブリッド型(HIT型)と「結晶シリコンとアモルファスシリコンを積層した太陽電池である。通常の結晶シリコンに比して変換効率が高く、温度特性も良いなどの特長を有する。シリコンの使用量が減らせる他、両面受光型にも出来る。日本の三洋電機が主な製造者である。なお、吸収波長域の異なる材料同士を積層するという点では下記の多接合型太陽電池に似るが、pn接合は1つ(単接合)である。」(Wikipedia)

8、発電原価と発電コスト

電気を起こすための費用単価で、発電施設建設や施設管理維持、人件費や発電用原料購入等に費やす全ての金額を発電総経費として、その金額をその電力施設が生産する総電力量で割ったもので、単位は 円/kWhで示す。なお、発電原価は耐用年数や、設備稼働率等の条件によって変わる。つまり、建設コストが低く、施設耐用年数が長く、稼働率が高いほど発電原価は低くなる。この発電原価の二つの条件の中の設備稼働率等の条件を省いた考え方が、ほぼ発電コストと同じ概念になると理解してよい。


3章へ

3章「社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題」
http://mitsuishi.blogspot.com/2012/02/blog-post_579.html


論文「市場からみた太陽光発電システムの課題 -太陽光発電の将来性と問題点- 」のダウンロード

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2012年2月16日木曜日

エネルギー消費量からみた現代社会の課題

太陽光発電の将来性と問題点

三石博行

1-1 、文明のエネルギー史観(神田淳氏の視点から)

私たちは人類史の中で最高の豊かさを手に入れている。この豊かさは18世紀にヨーロッパで始まった産業革命によって可能になった。神田淳氏は『持続可能な文明の創造』の中で、これまでの人類が形成してきた文明の根底に、人類が制御できたエネルギーの姿があることを述べている。神田氏はそれを「文明のエネルギー史観」と呼んだ。

生物学的視点に立てば、哺乳動物の寿命はそれぞれの種の個体(成熟した)の平均体重の0.2乗に比例すると言われる。本川達雄氏によると、その方程式でヒトの寿命を計算すると26.3年となる。そして、考古学調査から縄文人の平均寿命は31歳であったことが判明している。しかし、現代の日本人(女性)の場合には83歳である。縄文人と現代人の決定的違いはエネルギー使用量である。極論すれば、その寿命の差を可能にしたのがこのエネルギー使用量であると言えると神田氏は述べている。

人類は個体が生み出す生物的エネルギーのみでなく、自然のエネルギーを個体保存のために活用することが出来るようになった。それはことば、道具の発見と共に人類を特徴付ける大きな発見であったと言える。これが神田氏のエネルギー史観の基調となり、その後の人類史を活用したエネルギーの形態で分類する所以になる。

例えば、人類の文明の起源として火の使用をその特徴とするなら、第一期の文明は木材資源を活用した火力エネルギー文明と呼ぶことが出来る。この木材火力エネルギー文明時代は古代から中世まで続く。そして、同時に古代から中世、家畜動力、水力(水車)、風力(風車)が開発されるが、それらは主要なエネルギーではなかった。

そして、火力エネルギー文明が木炭・木材から石炭に代わることで産業革命が起こる。火力による製鉄(それまでは木炭によって製鉄が行われていた)、その鉄を用いた道具・機械の大型化、工業機械、そして蒸気機関の発明が次の石炭による火力エネルギー文明が20世紀前半まで続く。この石炭(化石燃料)を火力原料としたのが第二期のエネルギー文明(化石燃料エネルギー文明)である。

1882年のジェームズ・アトキンソンの内燃機関の発明から始まる石油を原料とする火力エネルギー革命が起る。そのエネルギー革命を推進したのは20世紀のアメリカの自動車産業である。そして今日まで、石油を使った新しいエネルギー革命が起り現代社会の経済や文化の姿を生み出している。(Wikipedia内燃機関) つまり、化石燃料である石油エネルギーも第二期の化石燃料エネルギー文明の中に組み込まれることになる。

人類が火(生体エネルギー以外のエネルギー)を生存活動に活用したことが、人と他の動物の明確な境界を生み出し、そのエネルギー活用領域を拡大することで、人類は自然資源の加工能力や社会生産力を得て、さらにその力(知性と経済力)をもって生活文化、経済活動、社会制度、文明を創ってきた。この文明の発展の原動力に神田氏はエネルギー資源の生産と活用の技術史を文明のエネルギー史観と呼んだのである。(KANDsu11A)

これまで、人類の歴史を経済制度や道具(生産手段)で理解する考え方はあった。著者も生活情報や生活資源の視点から歴史観を述べたことがある。エネルギー史観はそれらの歴史観と同類の考え方でありまったく目新しいものではないが、持続可能な社会の在り方を模索するために現代社会の巨大エネルギー消費の社会構造を理解することは必要である。今まで多くの専門家がその課題に取り組んできた。それらの研究や提言の歴史(経過)を「エネルギー史観」という考え方で纏め上げることは、今後の研究の視点に役立つと言える。


1-2、増えつづける世界の人口とネルギー消費量

17世紀の産業革命以来、人類が使用するエネルギーは莫大な量に膨れ上がった。その最大の原因は世界の人口の増加である。図表1(世界の人口の推移)から以下のことが理解できる。つまり、産業革命以前の18世紀初頭の世界の人口は10億人以下であった。1950年には25億人、そして1987年にはその2倍の50億人、つまり37年間で世界人口は2倍に増え、2009年には68億人(59年間に約2.7倍強)に増えた。現在、2011年には70億人といわれている。そして、国連人口基金は2050年には世界人口は91億人に到達すると予測している。

図表1 世界人口の推移 ※画像をクリックすると大きくなります

出典 国連人口基金東京事務所資料 (KANDsu11 p81)

グレゴリー・クラークの資料によると、紀元前10世紀から18世紀後半の産業革命までは一人当たりの所得(最低生存費水準)は殆ど変化していない。この均衡状態をマルサス的均衡の状態とかマルサスの罠(文末用語解説を参考)と呼んでいる。図表2の相対尺度1はこの均衡状態、つまりマスサスの罠と呼ばれる人口が増加しない状態を意味している。つまり、この状態では人口の変動はありえないのである。そして、産業革命によって一人あたりの生産力が増加、その結果、一人当たりの所得が増えつづける。その所得の増加と図表1の人口の増加は不可分の関係にあると言える。そして、この図表1の2050年の世界の人口の推移(91億人)の仮定には、国民所得が増加しつづけるという前提で予測される人口であると言える。

図表2 世界史における人口一人あたりの所得の変化 ※画像をクリックすると大きくなります

出典 グレゴリー・クラーク『10万円の世界経済史』 上巻p14-15 (KANDsu11A p81)

2010年の『エネルギー白書』(世界銀行年次報告、World BankのWorld Development Indicatorsのデータ)によると、世界のエネルギー消費量(一次エネルギー)は経済成長とともに増加を続け、1965年の38億TOE(原油換算トン、Tonne of Oil Equivalent)、つまり41TW(テラワット) (410億KW)から年平均2.6%で増加し続け、2008年には113億TOE、つまり130TW(テラワット)(1300億KW)に達したと報告されている。43年間に約3.2倍に増えたことになる。
 
図表3はWord Bankの調査した2009年の世界の国々の一人当たりのGDPのランキングを示したものである。1位のモナコは国民一人当たりの1年間のGDPは186,175US$である。日本は22位で39,738US$(1ドルを77円として約306万円)となる。日本に比べて、例えば食糧を要求して立ち上がったアラブの春のチュニジア(ランキングは103位)は一人当たりの所得は3,792$、つまり日本の10分の1、エジプトは2,270$で日本の17分の1の所得となる。186位のコンゴ民主共和国は国民一人当たり160$で、日本の何と249分の1である。

図表3, 世界銀による1人当たりGDP世界ランキング(2009年)※画像をクリックすると大きくなります

出典 フリー百科事典Wikipedia 「国の国内総生産順序リスト(1人当たり為替レート)(KANDsu11A p85)

この数値が即、国民生活の質を表現するものではないとしても、明らかに現在、先進国と発展途上国との国民所得の差は非常に大きいのである。当然、発展途上国の国民は豊かな生活を求める。その結果として世界のエネルギー消費量は今後急増することは避けられないのである。
例えば、GDP(国内総生産量)が世界2位である中国(58,786億US$)は、国民一人当たりのGDPは3,744US$(日本の10分の1以下)である。しかし、中国の今後の経済成長を考えると、容易に国民一人当たりのGDPが上がり続ける。つまり、発展途上国でのエネルギー消費量はそれに比例して増加し続ける。

IEAの資料(図表4)によると世界の一次エネルギー消費量は約年率2%で増加を続け、2035年には石油換算量16,386(百万トン)163億トン(約1900億KW)となると予測されている。近年の新興国や途上国での消費量の急激な増加の動向を考えると、その予測以上の一次エネルギー消費量が必要となる可能性も否定できない。しかし、将来、有限な地球資源量を考えると、2050年の予測人口91億人の実現可能性は疑問視されるかもしれない。そして、逆に経済成長を支える一次エネルギー供給(消費量)が不足する可能性を否定できないのである。

図表4 「世界の一次エネルギー供給(消費)」 ※画像をクリックすると大きくなります

出典 IEA 「Energy Balances of OECD Countries」「Energy Balances of Non-OECD Countries」(ZNEK 11A p59))  (ZNEK 11A p59)

マルサスの理論に従えば、世界の人口は増加しないというこの未来の予測は人口淘汰という熾烈な試練が未来に生じることを意味するのである。人口淘汰は、出産の抑制、堕胎、間引き、乳幼児死亡率の増大、餓死等だけではない。それは、資源エネルギーを巡る世界的な紛争(国際地域的、もしくは全世界的な戦争)が起こることも意味しているのである。


1-3 、省エネルギー社会を期待された情報化社会・第三の波の社会(A.トフラー氏の視点から)

石炭による火力エネルギーを活用することで可能になった産業革命以前の社会では、ことによって、それまで農業を中心とした社会であった。

石器時代を代表する自然素材そのものを利用して道具を作っていた時代では、人々の生活は他の動物と同じように与えられた自然環境の条件に厳しく限定され生存していた。人々は生態系の中で与えられた食料を捕獲しながら生活していた。この時代を生産様式の視点から観るなら、狩猟社会と呼ぶことができる。

そして人類は自然素材を加工しより優れた道具を作ることによって、この与えられた自然環境(生態系)の中で生存していた生活環境から人工的環境を形成することが可能になる。例えば、焼畑や灌漑によって生態環境に手を加え食料生産を行う農業と呼ばれる生産様式を開発することによって、農耕地(畑や穀物果樹園)を作りより効率よく食料を生産することが出来るようになった。

与えられた生態環境に束縛されて生活をしていた狩猟時代から自然生態環境に手を加え食料を生産した農耕時代が登場する。農耕文明を発展させることによって、人類は以前よりもより効率の良く生産物を手にいれることができた。この農耕文明をもたらした農業革命をアルビン・トフラーは第一の波と呼んだ。

トフラーは、産業革命によって生まれた工業生産を中心とする社会を第二の波の社会と呼んだ。この第二の波の社会では、大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽等の産業文化や過去の二つの世界戦争を特徴付けたに大量破壊兵器による総力戦、そして大企業を中心とする生産の規格化や標準化が行われ、19世紀に登場した国民国家、帝国主義と呼ばれる強い国家体制、それを維持し発展させた官僚機能の中央集権、社会機能の首都(主要都市)への集中化、国家的規範によって国の津々浦々まで統制のとれた社会制度(警察や官僚組織)が形成された。徴兵は国民の義務となり、国家という権力に今まで経験したことのない強烈な規則(法律)で支配されることになった。

そして、第二次世界戦争が終わり、植民地主義を土台とする資本主義経済(帝国主義)への非難が高まり、また情報科学技術が発展することによって、第三の波とよばれる脱産業社会(脱工業化社会)への流れが始まった。先進国とよばれる発達した資本主義社会の国民は民主主義や人権尊厳を社会理念とする成熟した社会の在り方を模索することになる。トフラーはこの社会への流れを第三の波と呼んだ。トフラーはこの第三の波へと変化する社会を、情報化時代、情報化社会、情報革命等の造語を創り説明をしたのであった。

情報化社会はトヨタ生産システムに代表される部品ストック量の軽減、流通の合理的配分、インターネットによる紙情報による伝達の消滅、つまり情報伝達のための物質資源利用の軽減、テレビ会議(インターネット上での会議)による運送機関利用の軽減、シミュレーション技術による開発コストの削減、インターネット上での動画配信による大衆娯楽施設(装備)の個人化等々、資源とエネルギーを節約し、結果的に省エネルギー社会の入り口を創ると期待されたのである。


1-4、三つの産業革命、躍進するIT産業による巨大エネルギー消費社会の出現(藤原洋氏の視点から)

しかし今、情報化社会が省エネルギー社会を導いていることに対する点検が始まっている。その問題を投げかけた一人として藤原洋氏の第4の産業革命の概念がある。その中で、藤原氏は情報化社会を第3の産業革命(3つの波)と位置付け、その社会は巨大なエネルギー消費社会であると述べた。まず、藤原氏の四つの産業革命に関する概念を簡単に紹介する。

18世紀のイギリスを起点として始まる産業革命を第一次産業革命と藤原氏は呼んだ。蒸気機関とは石炭を燃やし熱を発生させ、その熱で水を蒸気に変え、その蒸気の力で動力を動かす外燃機関である。つまり、エンジンを直接動かしている物質は高温の蒸気(水)である。水が蒸気になることで18cc(水分子1モル当たりの重さ)の体積が1気圧で22.4リットルに増える。さらに高温にすることでその体積はさらに増える。この熱力学の法則を活用し、膨張した体積を動力源としたのが蒸気機関である。その意味で藤原氏は第一次産業革命を蒸気機関による動力革命によって生み出されたと述べている。

石油を原料として生み出された内燃機関は、シリンダーの中で酸素と揮発性炭化水素(石油)が化学反応(燃焼反応)を起こし、その熱と生成されたガス(二酸化炭素や水蒸気)によってシリンダーが上下運度を起こす。そこで藤原氏はこの内燃機関による生産技術の変化を第二次産業革命と呼んでいる。また、石油は単に燃料となるばかりでなく、化学合成工業の原料となった。第二次産業革命によって化学繊維、プラスチックなどの化学合成素材(新素材)が生み出された。化学変化をエネルギーの動力や産業資源として新しい重化学産業が生み出された。石油化学工業や内燃機関による自動車や運輸産業が引き起こす新しい産業形成過程を第二次産業革命と藤原氏は呼んだのである。

1950年代以後、情報・通信に関する科学技術の進歩によってコンピュータ産業、情報産業が発展する。この情報通信技術によって導かれた産業構造の変化を第三の産業革命と藤原氏は呼んだ。このデジタル情報革命の進展によって期待された省エネルギーは実現しなかった。情報処理技術の進歩によって情報処理の高速化が日進月歩で進んでいる。半導体の集積密度は18から24ヵ月で倍増すると技術革新の流れの規則性をムーアの法則と呼んでいる。また、ネットワーク情報通信では「森の法則」とよばれるブロードバンドトラフィックは加入者の倍増に対して指数関数的に増大するというと規則が成立している。このムーアの法則や森の法則が意味することは、今後もIT産業は飛躍的に進歩し続けるという予測である。

携帯電話の普及等々、中国、ブラジル、ロシアやインド等の新興国や発展途上国での情報化社会は益々進み、莫大な情報の入力、蓄積と出力の高速化が必要とされる。その情報処理に必要とされるエネルギーは莫大なものになろうとしている。例えば、2006年の米アクセンチュア社のレポートによるとデータセンターの電力消費量は600億KWhで、全米の電力消費量の1.5%を占めた。

わが国でも、このIT産業による巨大な電力消費問題に対応するため、経済産業省が2008年にグリーンITプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトはIT機器による電力消費量は2025年には全電力消費量の40%に達し、2050年には50%に達するだろうと予測した。つまり、IT産業の躍進によって発展する第三の産業革命(第三の波)の延長には巨大な電力消費社会があり、そのために原子力発電等の導入が提案される結果となっている。


1-5 、現代科学技術文明社会・巨大エネルギー消費社会の課題

トフラーは第三の波、参画型の民主主義社会の土台となる情報化社会に未来の産業や社会システムの発展を望んでいた。しかし、その社会は、藤原洋氏が指摘したように、巨大な電気エネルギーを消費する社会であった。科学技術の力によって情報処理機能によって動く最先端の生産システムを創り、情報通信を駆使してより効率よい流通や生産管理を行い、巨大な生産力を獲得してきた。それらの現代科学技術文明に支えられた資本主義の社会では、より大きな利益を求めるために、日々、生産効率を上げるための努力が払われている。そのすべてのエネルギーを化石燃料や原子力によって得てきた。それらのエネルギー資源なくしては、現在の生産システム、社会システムや生活システムは成立しないのである。

21世紀は20世紀の科学技術文明社会を先導してきた欧米や日本だけでなく、発展途上国の経済発展も始まり、その速度は加速度的に高まっている。人口の多い中国、インド、インドネシア等の国々の経済発展によって、更に多くのエネルギーが必要となっている。生活の豊かさ(人間の当然の権利)を求める世界の人々によって、世界のエネルギーの消費量はさらに増加し続ける。巨大エネルギー消費社会は全世界に波及し続け、究極的にはエネルギーの枯渇問題や巨大なエネルギー消費によってさらに深刻化する異常気象(地球温暖化等々)や環境破壊が進むことは避けられないのである。

また、エネルギー枯渇問題は、暫定的には高騰する化石燃料を主体とするエネルギー資源問題として現れるだろう。そこに起る問題は昨年エジプトで起った小麦粉等の食糧の不足で生じる市民の暴動、そして今年1月からアラブの春とよばれる市民の反乱と独裁政権の終焉等々、政治的問題に発展した。しかし、市民が政権を取ったとしてもエネルギーや資源の絶対量は不足し続けるだろう。つまり、石油資源に依存する社会や国の貧困化は人口増大に拍車を掛けながら、次第に深刻化することは避けられないのである。しかも、東電福島原発事故が示しているように、原子力エネルギーの活用は上記した貧困化対策へのベストな解決策を与えるとは思われない。

言い換えると、20世紀社会は、社会経済システムは生産力の向上を目指して構築、改革、再編され続けてきた。しかし、21世紀の社会は、巨大なエネルギー消費社会からの脱却が問われている。その確実な解決策はない。しかも、その解決策を早急に探し求めなければならないことは明らかである。これまでにあった社会発展の理念を変換することが問われている。そして、化石燃料や原子力エネルギーに依存しない社会経済システムを構築しなければならないことも問われている。

エネルギーききが世界を襲い、列強(帝国主義)の国々が20世紀初頭に繰り広げられたたエネルギー資源の争奪をめぐる国際的な紛争(世界戦争)が起らないために、今、何をすべきかを考えなければならない。それはこれまでの社会理念と全く異なる社会モデル(例えば縮小社会)を提起するだろう。いずれにしても、生活の豊かさを求める発展途上国の人々、先進国の豊かな生活を持続したい人々、殆どがエネルギー消費量の極端な削減策には同意しないだろう。

そこで、民主主義(資本主義)と現代科学技術文明によって生み出された豊かな生活の質を維持し、また獲得し続けることを前提にしたエネルギー政策が問われることになる。その二つの課題、つまり生活の豊かさ(巨大なエネルギー資源の消費によって成立する社会)と化石燃料や原子力エネルギーへの依存をなくし、再生可能なエネルギー消費社会を創ることは矛盾なく成立するだろうか。その二つの課題が成立するための条件を考えなければならないのである。そして、以上のエネルギー消費量から観た現代科学技術文明社会に関する議論から解決しなければならない3つの課題を挙げる。

1、 再生可能エネルギー技術と社会経済システムの開発
2、 省エネルギー技術と社会システムの開発
3、 食糧、資源エネルギー問題や人口問題の解決、資源問題で生じる国際紛争への対応と資源独占・争奪をめぐる世界戦争の回避


用語解説

1、マルサスの罠

マルサスは、彼の有名な『人口論』の中で「人口は生産物の増加速度を上回る速さで増加を続けている」と述べている。そのため、「労働投入量を増やせば増やすほど生産量は増加するが、追加的増分(生産物の)はしだいに小さくなる」関係(限界生産力逓減の法則)が生じる。つまり、貧困化が生じる。

その貧困によって、「余分な人口は淘汰される。現実には、出産の抑制、堕胎、間引き、乳幼児死亡率の増大、餓死等が起こる」ことになる。そのことによって人口増加は抑制される。これを最低生存費均衡の理論と呼んでいる。マルサスの基本仮定によって人口は常に増加する傾向を持つのだが、その人口増加は最低生存費均衡の理論によってある水準に留まる。

つまり、世界人口の増加が産業革命以前になかったように、結局、人口は増加も減少もしなくなる。「この均衡状態をマルサス的均衡の状態(Malthusian equilibrium)あるいはマルサスの罠(Malthusian trap)と呼んでいる。マルサスの罠の状態では、1人当りの所得は最低生存費水準であるから、所得の一部を貯蓄にまわす余裕はない」生活状態にある。この状況では所得はすべて消費され、その殆どが生きるため必要な生活資源に使われることになる。

参考 鳥居泰彦『経済発展理論』東洋経済新報社、1979年
http://phrik.misc.hit-u.ac.jp/Asami/Jugyo/2005/socdev/week2/malthus1.html


2、国民総所得、国民総生産、国内総生産

「国民総所得(Gross National Income)とは、略してGNIと呼び、1990年代半ば以前に経済活動の指標として使われていた国民総生産 (GNP, Gross National Product)と、税制の計算上の適用有無の違いがあるもの近い指標である。日本の国民経済計算(国民所得統計)では、2000年に大幅な体系の変更が行われた際に統計の項目として新たに設けられた。」現在経済指標として多く使われている国内総生産 (GDP, Gross Domestic Product) は海外や自国の企業全てが国内での生産量を示す。

その国内総生産に「海外からの所得の純受取」を加えたものが国民総生産である。(Wikipedia)
製造業を中心として国内で生産を続けていた1990年代までの日本は国内総生産が大きかった。しかし、海外に工場を移し、また海外の企業を買収してそこで生産をするようになってから、国内総生産は減少している。つまり、2000年代になると日本は、国民総所得(国民総生産)の大きな割合を海外からの所得の純受取に依存するようになっている。

また、「海外への融資の利回りで得た国民総生産と国民総所得は、名目では一致するが、実質では若干の差がある。これは、実質国民総所得では、実質国民総生産は考慮されていない、輸出入価格の変化によって生じる実質的な所得の増加分を「交易利得」として加えているためである。」(Wikipedia)


参考資料


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http://www.fepc.or.jp/library/publication/pamphlet/pdf/enekiso08_09.pdf
5、  鳥居泰彦『経済発展理論』東洋経済新報社、1979年
http://phrik.misc.hit-u.ac.jp/Asami/Jugyo/2005/socdev/week2/malthus1.html
6、 (FJHAh 10A ) 藤原洋 『第4の産業革命』 朝日新聞出版 2010.7.30、207p
7、 経済産業省 『平成22年度 エネルギーに関する年次報告 第179回国会(臨時会提出)』242p
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10、 (YAMAk 02A)山田興一、小宮山宏著 『太陽光発電工学 太陽電池の基礎からシステム評価まで』 日経BP社、2002.10.7、254p
11、 (ZNEK 11A) 財団法人 日本エネルギー研究所 計量分析ユニット編 『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』財団法人、省エネルギーセンタ― 2011.10.12、改訂3版、 348p 
12、 濱川圭弘、太和田善久 編著 『太陽光が育くむ地球のエネルギー 光合成から光発電へ』、大阪大学出版会、2009.10.16、132p、
13、 鷲田豊明『環境とエネルギーの経済分析』白桃書房、1992年10月6日刊)http://eco.genv.sophia.ac.jp/book/sosyo/so-4-3.html
14、 桑野幸徳 「太陽光発電の実力は」PowerPoint資料 17p
http://www.natureasia.com/japan/nature_cafe/reports/videos/111609/presentation-kuwano.pdf
15、 桑野幸徳 『太陽電池はどのように発明され、成長したのか -太陽電池開発の歴史-』オーム社、2011.8.11、430p
16、 桑野幸徳・近藤道雄 監修 『図解 最新 太陽光発電のすべて』オーム社、2011.6.1、255p 
17、 瀬川浩司、小関珠音、加藤謙介 編著『サイエンス徹底図解 太陽電池のしくみ』 新星出版社、2010.5、183p
18、 NEDO成果報告書「太陽光発電評価の調査研究」(2001年3月)
19、 和田木哲哉 『爆発する太陽電池産業 25兆円市場の現状と未来』 東洋経済新報社、2008.11.27、178p 
20、 濱川圭弘、太和田善久 編著 『太陽光が育くむ地球のエネルギー 光合成から光発電へ』、大阪大学出版会、2009.10.16、132p、
21、 濱川圭弘編著 『太陽光発電』 ㈱会社シーエムシー、1995.5.20、210p
22、 京セラ(㈱ソーラーエネルギー事業部 編著 『太陽エネルギーへの挑戦』 清文社 2000.9.30、318p
23、 NEDO『NEDO再生可能エネルギー技術白書』平成22年7月27日 http://www.nedo.go.jp/library/ne_hakusyo_index.html
24、 (KONIm 08A) 小西正暉、鈴木竜宏、蒲谷滋記 『太陽光発電システムがわかる本』 株式会社工業調査会、2008.7.10、321p
25、 三石博行 [再生可能エネルギー促進法とその問題点について -持続可能なエネルギー生産社会を目指すために-」おおつ市民環境塾講座講演の資料(論文)、2011年11月19日http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_03_04/cMITShir11a.pdf
26、 石川憲二 『自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解』 株式会社オーム社、2010.7.25、190p.
27、 『月刊環境ビジネス』「大特集 スマートグリッドPART1 激化する開発競争」  2011.12月号 VOL.114、pp16⁻68


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2章「市場からみた太陽光発電システムの課題」
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