2011年9月5日月曜日

マスコミの本音と報道の自由

民主主義と報道機能(1)


三石博行


野田政権が成立して、突然、多くの政府支持率や民主党支持率を獲得する状況をどう理解すべきだろうか。つまり、この支持率の変化は、野田民主党政権への評価と言うより、野田政権への期待であると言える。つまり、これまでの管政権への不満、政治への不信が、野田内閣が出来ることで、まるですべて解決したかのように思いたい国民の切ない気持ちだと思う。

現実の世界では、野田政権はまだ何もしていない。だから、本当は、国民は野田政権へプラスにもマイナスにも評価など下せるはずもない。ましては、つい昨日まで民主党政権を不支持であった国民が、政権を支持する筈もない。

つまり、このアンケート自体に何の意味もない。意味のないアンケートを新聞やマスコミは大々的に報道する。その意味のなさに関する説明は全くない。実は、ここにこそ、管政権の最悪のアンケート結果を書き続け、アンケート結果をまるで神様の声、世の中の正論として報道し続けてきた、マスコミの姿がある。

社会はその時その時のマスコミの報道に踊らされる。昨日まで原発推進だったマスコミが、こんどは原発反対を言い出す。昨日まで戦争に国民を借り出していたマスコミが、終戦と同時に民主主義を語り出す。マスコミと呼ばれる怪物に踊らされ、操作され、彼らの意図で世の中が動き出す、そうした間違った情報操作主義をマスコミに与えている原因は何か。

そろそろ、我々は、批判精神をもって世の中の動きを見るべきだろう。そろそろ、東電の支払う巨額の宣伝費に依存してきた私企業としてのマスコミの経営至上主義を見抜くべきだろう。そして、それがマスコミという企業の自然な姿である以上、そしてそれが企業マンとしてのジャーナリストである以上、いつまでも今までのようにマスコミ批判やジャーナリズム批判していて、基本的に民主主義社会の必要十分条件としての報道の自由と事実を報道するジャーナリズムの社会的機能(役割)の必要性を満たすことは出来ない。この問題解決には、マスコミという経営組織が必然的に持つ、企業としての定め・宿命を理解してあげなければならない。

つまり、マスコミ批判から自立した報道機能の形成へと課題を展開しなければならない。つまり、安全な食品を手に入れるように、利益追求型の食品企業にたよるのでなく、自分たちで安全な食べ物を作る運動を起こしたように、そろそろ、我々の自分の意見を発信する報道機能を持つべきだろう。持たなければ、我々の民主主義社会は作れない。

そのうち、もっとインターネット上で情報を発信する人々がウンカのように発生するだろう。そして、北アフリカや中東のように、その力を無視できない日が、この巨大マスコミ国家・情報管理国家・自主情報発信の後進国にも登場するだろう。

つまり、企業化した情報発信と社会や生活運動としての情報発信の在り方の違いについて市民が理解する日が遠くないような気がするのだ。

--------------------------------------------------------------------------------
東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html


--------------------------------------------------------------------------------



2011年10月4日誤字修正

0 件のコメント: