2011年1月5日水曜日

他者と共感しえない哲学は意味を持たない

三石博行

私にとってブログ活動の意味

生活をより豊かにすることが哲学の存在理由である。換言すると思想性の成立条件として日常性がある。人は哲学のために哲学をしているのでなく、生活を豊かにに過ごすために哲学をしているのである。結論すれば、哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠なのである。そして、哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言えるのである。

また、あらゆる哲学の入り口として、生活点検作業がある。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれる。それが日常性の宿命である。そこでその日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、哲学は反省と呼ばれる遡行作業の方法や技術を提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検検証する作業を意味する。つまり、時代性や社会文化性に支配され日常生活を支配している自我の機能、現実則や理性の点検活動が哲学の入り口となる。

生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善の具体的な指針を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶことにする。

また、他者と共感しない哲学は意味を持たない。ブログという道具を使い、共感を哲学性への評価と理解し、他者からの共感を自己点検の材料にしたいと希望した。これが、私のブログ活動の目的である。このブログ活動を通じ、共感が広がり、深まることへの喜びが哲学をする私への何よりのプレゼントとなっている。


修正(誤字)2011年3月2日




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