2010年11月10日水曜日

買うという行為の起源(1)

使用価値をもつ条件

品物が生活のために必要でなければ買うという行為は生じない。例えば、衣食住に関する生活の基本的条件を満たす品物を買う人は、それを誰かに売るという行為以外には、それを生活のするために使うという条件で買っている。つまりそれらを使うために買うのである。仮に、品物を売買する人々が間に何人入ったとしても最終的には、その品物は生活空間で消費される運命にある。

つまり、品物を買うことは使用行為が前提条件となっている。物(もの)は使われる(消費される)目的をもって存在している。その目的を完了するためにものは買われる。言い換えると品物に使用行為を満たす条件があり、その満たす条件を評価したものを古典派経済学では使用価値と呼んでいる。

使用価値を持たないものは買う対象にならない。つまり、商品となるための必要十分条件が人々の使用行為を満たす条件を品物が持っていることである。言い換えると、そのものの価値を買い手が評価している状態(使用価値を所有する状態)にあることが買う対象となる。

使用価値のないものは商品の対象にはならない。使用価値はものが売買行為の対象となる絶対的に必要な条件である。使用価値をもってはじめて商品の条件を満たす。すなわち使用価値とは商品の第一条件と言える。

使用価値を持つとは、売買の対象・品物が生活世界の中で人々にとって必要なもの、なくてはならないものであることを意味する。つまり、その売買の対象は人が生きるために、家族を維持するために、社会が成立し発展するために使われるものであり、人々の生存、生活、文化、趣味、快楽の条件を満たすために人によって作り出されたものであるである。



労働過程・交換行為の形成

人が他の人が生活世界で使用するものを作る。それを労働と呼ぶ。最も原始的な労働は、自然物を生活物に変える行為である。例えば海や川で生息する魚貝を食料と呼ばれる生活物に変える行為は最も原始的な労働の形態である。

労働の原始的形態とは、自分以外の人々の生存、生活、文化、趣味、快楽の対象を自然物から得る行為を意味する。自分のために魚を捕ることは、単に生きるための行為と言えるだろうが、他者のために行う行為は、そこの他者との共存を前提にした行為を意味し、自分のために動くことと質的に異なる事態を引き起こしているのである。

この質的な違いの発生は、他者と共存するために動くという社会的行為の起源を意味し、それを一般に交換行為と呼んでいる。つまり、交換行為の第一歩とは他者からの行為の授与を期待し、自らの行為を他者のために行うこと、行為の投資が為される。その行為が他者に認められることによって、他者からの評価を得られる。評価とは、他者も自分の生存や生活ための行為を行うことを意味する。他者の行為を受けることで、他者と自己の行為の交換が成立する。


言語の形成・交換行為の形成

交換の最も基本的な形態が会話と呼ばれる言語活動である。ことばを生み出す行為を相互に行いながら生きている。そのことばの生産活動とその交換関係、つまり自己の生産したあることばが他者の別のことばとなって生産・再生産し続ける関係を前提にしながら社会共同体が運営されている。

人間のことばの起源と労働の起源は同次元にあると考えると、他の動物たちのことばと人間のことばの違いが見える。つまり、人は空気の振動を生み出す作用のみでなく、手の運動を中心とした生産物によって他者との交換過程を形成している。それが、他の動物と決定的にことなる。鯨も音波を使った交信をするだろうが、その交信の記号を手(身体運動)から作りだれるものとの関係を生み出すことは出来ないだろう。

自然物から人工物と呼ばれる加工過程は、二つの記号化過程を生み出している。一つは空気の振動を音声とよばれる記号に加工すること、もう一つは例えば魚という自然物を食料という人工物に加工することである。

言語過程は、つねに自然物である空気の振動を他者と交換可能な人工物・音声に加工する作業過程から形成される。その意味で、自然物を交換可能な人工物に加工する一次産業での労働過程と同じ構造をもっている。

トランデック・タオが「言語と労働の起源について」述べた労働過程の形成と言語過程の形成は同時に進み、それこそが人間を生み出した起源であると言えるだろう。


交換価値をもつ条件

使用価値をもつもの、つまり商品は、他の商品(貨幣)と交換されながら、流通する。生産する人と消費する人が必ずしも同一でなく、また必ずしも同じ場所にいない、高度に分業化した社会では、交換という行為がなければ生産されたものが使用(消費)されない。

言い換えると、使用価値を持つと言うことが交換行為を形成することを前提にして成立している。交換行為が成立していない状態で生産された品物は、その潜在的使用価値を持ちながらも、現実的には生産者とその近辺の人々が使用する以外は不要なものになるだろう。

例えば、漁民がいくら多くの魚を取ってきても、それが食卓で料理される材料として使われない限り、その魚は海から取り上げた魚にすぎない。つまり商品としての、売りものとしての魚は売られる条件を与えられたものである。それ以外は、子供が取った魚とそう大きな違いのない、たまたま漁民が取った魚(自然物)に過ぎない。

生活世界での消費財(もの)に関していえば、使用価値を与えられなければ、交換価値をもつ条件は成立しないのである。しかし、これが最も基本的な商品の形態である。





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