2010年9月18日土曜日

哲学の存在意義

三石博行


生きる場の哲学・生活主体の反省的認識活動

大学で訓練を受ける哲学は、哲学の歴史(現代哲学も含めて)や哲学理論の分類学ですね。それは、多分、「生きる場の主体(生活世界の主人公、つまり一人称の私と呼ばれる存在)の認識活動やその行為や行為に結果に関する反省点検活動」にとって、参考になると思います。
例えば、デカルトの「方法序説」を読んでみると、今の自分の生き方を検討するために必要な考え方や生き方が書いてあります。その意味で、この書物は古典だと思います。
しかし、デカルトを知らなければ生きる場の哲学が分からないわけではなさそうです。すべての人々が、学問や知識の前提なく、日常生活を通じて自己を点検する(反省する)思索を人生哲学と呼ぶなら、哲学の基本はこの人生哲学にあると思えます。

そして、その人生哲学の思索過程を、つまり、「生きる場の主体の認識活動やその行為や行為に結果に関する反省点検活動」を思想や哲学と呼ばれら学問の歴史の中で、再度検討するとき、そこに大学などで学ぶ学問としての哲学の意味があるのだと思います。

ある人々にとって、自己の思索活動の中だけでは、解決つかない疑問に対して、哲学史や古典と呼ばれる過去の哲学者たちの書物は役に立つかもしれません。その生きる場の深く重い疑問や不安に慄きながら、専門的な哲学研究は出発していると思います。

この疑問や不安に苛まれる世界を持たない人々からすれば、哲学はまったく役に立たない学問だと思います。なぜなら、それを学んだからと言って、生活経営、社会経営、政策立案にそれ程役に立つようなものがないからです。

しかし、生き方に悩み、自分を何とかしなければいけないと思っている人にとっては、自然と哲学をはじめる土台が作れるのだと思います。

哲学という学問は、その意味で、他の科学(自然科学、応用自然科学・技術学、人間社会科学)などと、すこし違った特殊な学問に思えます。

趣味人倶楽部 「哲学研究会」掲示板 「いわゆる人生哲学と学問としての哲学について」での議論 
http://smcb.jp/group/152


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