2009年10月29日木曜日

東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割

22世紀を迎えるとき評価される壮大な試みとしての東アジア共同体構想

The social role of the Kyoto・Nara EU Association and the idea of anEast Asia Community (EAC)

Hiroyuki Mitsuishi

We hope to create a plan for the establishment of the EAC, however,this formation could be difficult because of the different politicalsystems in Japan, Korea and China. Because of the different economicgoals of these countries, the EAC should begin the first step byworking towards friendly relations between the three countries, whichis the goal of the EAC. And, these improved relations will help thecivic cultural exchange in East Asia which willl also help theserelationships to develop. In addition, the credit transfer systembetween universities in East Asia countries, which the Japanesegovernment is planning, will also help to encourage talented peopleto help establish the EAC.


現政権が打ち出した東アジア共同体構想は実現して欲しい課題である。これまでの歴史の中で、国際的な国家の連合の枠組みを決定していたものは共通する政治的立場や利害であった。例えば、55年体制を代表するソ連を中心とする社会主義国家連合とアメリカを中心とする自由主義(資本主義)国家連合の二つの国家連合があった。同様に、欧州石炭鉄鋼共同体設立から出発したヨーロッパ共同体も共通する政治経済の立場にたった自由主義国家の連合である。

その共同体を共通の政治文化理念として支えていたのはヨーロッパ評議会である。「人権、民主主義と法の支配」を理念とし、人権裁判所設置、死刑廃止などの人権擁護、ヨーロッパ文化アイデンティティの保護とその文化的多様性の推進など欧州地域の少数民族言語の保護、環境問題、教育問題、スポーツ推進、青少年の保護、共同司法制度、麻薬や組織犯罪などの撲滅、文化財保護、ヨーロッパ内の格差廃止、開発資金の設置などにヨーロッパ評議会は取り組んできた。

日韓中を中心とする東アジア共同体構想はヨーロッパ共同体の違い、必ずしも自由主義国家の連合体ではない。その意味でEU形成の政治文化思想基盤を均すための役割であったヨーロッパ評議会に相当する共同体形成のための推進機能を準備することは困難であろう。しかし、鳩山政権の推進するこの構想は、当時不可能と言われていたEUへの長く困難な試みと同じように、21世紀半ばを過ぎ、22世紀を迎えるとき、評価される壮大な試みであると言える。


まず、東アジア共同の経済的利益を前提として出発

アジア周辺国の近代化は必ずしも欧米型近代国家の形成と類似した形態を取るとは限らない。ソ連や社会主義中国の形成は、明治維新によって成立した大日本帝国と同じように、欧米列強の帝国主義植民地政策から自国を防衛するための、つまり近代工業化を国家主義的に推進するための手段であった。その意味で、東アジア共同体の中で、自由経済を推進する社会主義中国と自由主義国家日本と韓国がそれぞれの国家の政治経済の利益を共有することが可能であると言える。

東アジアの平和と安全を保障するために、ソ連崩壊や中国の改革開放以後、日米同盟には仮想敵国として民主主義ロシアや現在の現代中国を位置付ける必要はない。その意味で、基本的に日米同盟と東アジア共同体構想が対立することはない(勿論、日本は東アジアの政治的安定のためにロシアとも和平条約を提携する必要があるのだが)。

しかし、人権問題や国内政治のあり方でも異なる政治制度を持つ中国と東アジア共同体構想を育て形成していくためには、共通する政治文化を性急に要求し合うことは出来ない。そのことがまず、東アジア共同体構想が出発するための第一公理である。そして、この構想が展開していくための第二公理は、東アジア共同体構想の基本に経済的共通の利益を置く、東アジア経済共同体形成の構想が展開されることである。例えば、東アジア経済共同体では、未来型産業の共同研究、省エネ・資源再利用型産業、農工産業の形成、第四次産業(研究開発型産業)育成等々の課題が緊急に検討されるだろう。


東アジア文化アイデンティティの形成に向けた交流と日韓中大学間単位互換制度の確立の意味とEU協会の役割


数年前の韓流ブームは、日本に近くて最も遠い国であった韓国を本来の地理的位置に戻した。多くの日本人がハングル語を学び、今や大学で多くの学生が第二外国語としてハングル語を選択している。そして、NHKのEV特集「日本と朝鮮半島2000年」の番組に観られるように日韓間の緊密な歴史が大衆的に検証・了解されようとしている。この数年の日韓関係の改善に韓流ブームを起こした韓国ドラマの功績は大きい。

韓国や日本の文化は中国文明の影響を抜きには語れない。この三つの国に共通する文化は、2000年以上前から続いてきた東アジアの文化・人的交流によって形成された。東アジアには儒教や仏教を中心とした生活文化アイデンティティが存在する。自然観や芸術文化、建造物、生活感覚など東アジア独自の文化、その文化的多様性が、2000年の時を経て得られた我々の生活文化の基底を構成する。そして、ここ150年間で、私たち東アジアの文化は、経済発展に必要な近代工業化社会建設の中で共に変貌しようとしている。

共通する経済的利益を前提に発展する東アジア共同体の流れを根底から支える力は、東アジアの人々が文化アイデンティティを共有することである。しかし、わが国は、過去の戦争の過ちに対して、十分に向き合っていると被害国の国民に思われていない。まず、そのことを解決しなければならない。再び悲惨な戦争を東アジアで起こさないために、東アジア市民間の文化・人的交流を創らなければならない。

すでに、現政権は日韓中三国の大学間単位互換性制度を具体的に提案している。EUのエラスムス・プログラムによってヨーロッパの大学ではEU内の学生が共に学び交流する機会を得ている。EU大学間の共同研究や良い意味の大学間競争も起こり、EUの将来を担う若者がそこで育っている。EUの大学コンソーシアムに学ぶことは多い。また大学コンソーシアム京都の経験は、東アジア高等教育単位互換制度を確立するときに具体的に役立つと思われる。京都・奈良EU協会は、日欧学術教育文化交流活動でヨーロッパ学研修プログラム等を企画し活動している。これらのプログラムを、将来、東アジア共同体を担う人々の教育として位置づけ、活動を続けなければならない。何故なら、我々がEUに学びEU市民と交流する目的は、我々東アジア生活文化圏の平和と共存のためにあるからだ。

KNEU-No4 京都・奈良EU協会 会報No4 記載


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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から

2009年10月8日木曜日

批判的にも共存する方法

三石博行


自己制御プログラムの形成の必要性

誰でも、ある不当な扱いを受けたとき、その不当さに憤りする。人から受けた不当な扱いや暴力に対して異議を申し立て、また反撃に出るのは至って当然の行為である。その限り、人々の相互の行為は「やってはやられる」ことを繰り返し、その繰り返しを続けながら、あるときは仲良くなり、あるときは決定的な敵対関係に発展する。それが人々のコミュニケーションのあり方であり、人の生き方であり、人が人に対する考え方であり、それが人々の人生の姿となっていることは疑えない。

どんなシステムでも、そのシステムの運用を間違い、結果的に誤りを犯すことが必然的に生じる。間違いはシステムの必然的現象であるともいえる。システムと呼ばれるプログラムの運用機能が、そのプログラムの運用を必然的に間違うのである。つまり、間違いを犯すことまで、システムプログラムの組み込まれているかのようである。例えば、遺伝子のコピーの誤りから、モラル的誤り、社会秩序の混乱など、誤りはシステムの運動の中で必然的に生じる現象であると言える。システム上の問題は、それらの誤作動によって生じたバグやごみを処理する機能があるということで、誤りの結果、誤りの過程に学ぶ機能があるということだ。そして、その誤りの結果を修正する機能がなければ、システムは崩壊するので、その優秀な機能があることが最大の問題になる。

例えば、一国主義の国際外交政策でさんざん失敗を重ねてブッシュ政権の誤りを、オバマ政権が修正することが出来るのも、民主主義国家としてのアメリカの政治的機能である。アメリカの政治というシステムが過去の外交政策の誤りを修正できる機能を持つということが、アメリカへの信頼となるだろう。そして、日米同盟を考える上でも、そうした相互の国際政策の誤りや正しさを評価し修正しあえる関係こそが、政治的システムの中で求められている。日本の民主党の言う「日米間の対等な関係」とは、日米同盟が健全な姿、つまり国際平和と共生の政治的立場に共に立ちながら、お互いの政策に関して相互に点検する機能を持つことと、同時に共同で平和と共存の国際世界を構築することである。それらの考えは一国家の政治的利益を前提にしている以上、アメリカのブッシュ政権も日本の鳩山政権も同じ政策を打ち出すことはない。当然のこととして、お互いの国家的利益を前提にした政策が提案されるだろう。しかし、その違いや生じる利害、もしくは批判や受け入れ不可能な相互の立場を前提として、理念として共有した「国際社会の平和と共存」の立場に立ち戻りながら会話を続け、また共通した政策を共に実行すること以外にない。

個人的な人間関係にしろ、人々はそれぞれ意見や感性の異なるもので、相互に批判や意見の違い、感情の違いを持つものである。そのため、他者への批判や異議は当然生じるものである。大切なことは、他者へ率直な意見を言わないことでなく、言ったとしても、そして過去に批判しあった関係や敵対した関係が合ったとしても、それを修復する精神的や生活文化的機能があるということだ。

しかし、こうしたことは、簡単なようで、非常に難しいことだ。何故なら、人は他者に対して優位に立っている場合のみ、他者の批判をおおらかに受け入れることが出来るもので、もし、批判した人にたいして少なくとも何らかの劣勢な感覚を持つ場合には、その批判にたいしておおらかに、「彼の言っていることも一理あるかもしれない」などといえないものである。

批判されたことが心底こたえる場合は、それがあまりにも的を得ている場合が多いのである。その意味で、批判され批判する関係のあり方は、批判する側よりも、批判される側に、考えなければならない問題が多く存在しているように思える。

批判を不当な非難や不当な扱いとして感じる自分(批判されている側の主観的現実としての論理)を分析するために、もう一歩進んで、その不当さと判断した自分を自己分析し、不当な批判や扱いと思う自分と向き合うことの大切さ、必要性が理解できている(そうした自己制御プログラムを持っている)ことである。

しかし、理屈では分かっていることが、実際には、なかなか困難な作業である。そこで、その困難な作業をもっと分かりやすく、簡単な方法になければならない。

1、例えば、不当な行為を受けたと思う自分に対して、その理由の一端が自分の側にあるのではないかと仮説を立てってみる。なかなかそう思えないので「仮説」と立って、その理由をあれこれと探してみる。

2、過去に、自分も同じくらい彼らに不当と思われる行為をしたのではないか。そう仮説を立ってみる。

3、不当な行為の問題は、受けている場合には自覚でくるが、行っている場合には自覚し難いものであると仮説を立てる。自覚しないまま不当な行為を行っていたと仮説を立ててみる。

以上の、他者からの非難や不当な仕打ちに対する自覚のための制御プログラムが出来上がった。しかし、この制御プログラムも自然に機能することはない。それを機能させるための強い意志が必要であることは言うまでもない。


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2009年9月17日木曜日

提案 「高速道路の無料化と地球温暖化対策」

三石博行


高速道路の無料化と地球温暖化対策は可能か


鳩山総理の地球温暖化対策に対する具体的な方針は世界に日本の政治的リーダーシップを示すすばらしいものでした。現在の人々の生活と100年後の世界を考えるのが政治の姿勢であると確信しています。

1、高速道路の無料化の意味は大きいと思います。

現在、週末高速道路が値下がりしたでけでも、ETCの利用者は増え、週末家族で都会から地方へと遊びに行く人々は増えました。その経済効果はあると思います。その意味で、高速道路の無料化の方向は決して間違いではないとおもいます。しかし、この政策が一番民主党のマニフェストの中で不人気ではないでしょうか。なぜか、それは、利益を受ける国民ですら、高速道路が混雑すること、また、それによって二酸化炭素を多量に排出する現在の自動車社会が継続することを懸念しているのではないでしょうか。

2、エコカーに対する高速道路料金の値下げ

そこで、高速道路料金をエコカーに対して、もしくは環境基準を守っている車に対して、下げるということは出来ませんか。例えば、ジーゼルエンジンのトラックですが、発がん性物質である浮遊粉塵の対策をしていない車は、高速料金を無料にしてはいけません。逆に、ハイブリッド車や電気自動車などは優遇すべきだと思います。エコ対策を進めることと、高速道路無料化を一本化すると、おそらく、企業も民間もその対策を取るでしょう。その経済効果も大きいと思います。そして、高速道路周辺で起こる公害問題に対しても、説明がつくと思います。

3、高速道路無料化に対する専門委員会を開いて、幅広い人々の意見を聞きながら、マニフェストを実行してください。

昨夜の諸大臣の所信表明演説を聞きました。すばらしいに一言。これまでになかったことが起こると確信をしました。しかし、明治以来続いてきた、しかも戦後もそのまま引き継がれた官僚主導の国家運営を改革することは大変だと思います。日本の近代化に貢献してきた官僚制度だけに、それが今日、まったく機能せず、また弊害を起こしていても、伝統の強さは恐ろしいものがあると思います。そのことに挑戦できるのは民主党だけです。がんばってください。
問題は、いかに多くの専門家を集め、豊かな知識と多様な意見を取り入れて政策に活かすかということです。過去の貧しい日本社会では民間に多くの専門家が居なかったため、官僚がそれを支えていたのだと思います。科学技術文明社会では、大学、研究機関、企業、NPO,NGOに多くの専門家がいます。それらの人々(国民)を活用することが、多分、官僚主導型の国家運営から国民主導型の国家への変換を生み出すと思えます。
この高速道路無料化でも、多くの専門家を集めて議論してください。これまでは官僚が自分の意見を通すために、言いなりになるような人々を集めて、専門委員会を作りました。それではだめです。民主党は、政策を検討する時に、幅広い専門家を集めてください。高速道路無料化に対しても、交通工学、流通経済、環境問題、地域経済、観光開発、家庭経済等々の専門家の参加が必要でしょう。そして、すべての専門委員会のメンバーの業績を公開してください。その上で、高速道路無料化と意中温暖化防止が両立できる政策、法案、システム改革を提案作成してください。

最後に

何事も成果しか見ない社会になっています。確かに、成果も大切です。しかし、ものごとを成し遂げるまでの、また失敗したとしても、その過程を理解し共有することも大切です。つまり、どのようにして高速道路無料化と地球温暖化防止を両立するための政策が検討されたか、その努力がどのようにして払われてきたのかの過程を大切にすることが必要です。マニフェストは実現しなければなりません。そしてその成果を国民に示めさなければなりません。その上で、その努力の過程、手段、方法も示すことが大切です。何故なら、必ずしも100パーセント成功しないからです。しかも、その不成功に学ぶことが多くあり、それを国民と共有することだと思います。それが国民による国民のための国民の政治であり、そして、それしか官僚主導型国家運営から脱却することが出来ないと思います。その理念、つまり国家の改革に参画することを国民に訴え続けてください。
その民主主義の理念が日本の文化とするときに、鳩山首相のいう「友愛」が日本の伝統文化になると信じます。

2009年9月1日火曜日

東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か

三石博行


東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
Is the integration of association in an EU styled movement among East Asian countries possible?

At the 50th anniversary commemorative lecture for the establishment of the European Coal and Steel Association of Japan and France held in Nara October 12, 2003, Dr. Johannes Preisinger, then Consul general of Federal Republic of Germany, said that the EU looked to Japan as the one country in East Asia that could lead an East Asia alliance endeavor for peace and coexistence similar to the one developed by EU.
However, when viewed against the long history behind the establishment of the EU, the present conditions vis-a-vis Japan's insufficient postwar neighbourhood community building activities and mutual understanding efforts throughout East Asia make it currently seem impossible for Japan to play any such key role in the region involving federation building initiatives among its East Asian neighbours.
We therefore wonder that a trial of association be possible if working alongside the EU to establish such a community committed to these idealistic and lofty goals। One that would similarly promote protection for the myriad indigenous community and country cultures, whilst developing the new federation concept. This could be one step on the path to realizing the suggestion of Dr. J. Preisinge.


EUに学ぶとは日本が「東アジアの平和と共存のための連合」を目指すこと



プライジンガー博士は、EUと日本との未来の関係について壮大な構想をお話された。つまり、博士はEUが日本に望むことは日本が東アジアでEUと同じような平和と共存のための連合、例えば「東アジア連合」を創ることであると述べたのである。


困難な東アジアの平和と共存のための連合国家形成の現実


EUは長い歴史を経て形成された。中世以来の戦争の歴史が前提になっている。例えば、ヨーロッパでの戦争は、13世紀から15世紀に2回、16世紀に3回、17世紀に4回、18世紀に6回、19世紀に12回、20世紀に27回と増加の一途を辿り、20世紀には二つの世界大戦が勃発、7000万人以上の犠牲者を出した。

その反省に立ってヨーロッパ統合(チャーチルの欧州合衆国構想)の考えが生まれ、1946年5月のロンドン条約によって欧州評議会が10ヶ国の加盟で発足した。欧州評議会は、17世紀以来、ヨーロッパから始まる民主主義国家の基本理念(人権、民主主義、法の支配)を普及するために活動し、現在47ヵ国が参加している。欧州評議会の活動をバックに、ヨーロッパ経済共同体(EEC)からヨーロッパ共同体(EC)を経ながら、EUは、ヨーロッパがより国際社会で政治的影響力を持ち豊かな経済圏を維持するために1993年に発足した。現在27ヶ国が加盟しているEUは、欧州憲法、司法、政治、経済、行政、通貨、治安警察、軍隊等々の統一機構の形成に取り組んでいる。

このEU建国の長い歴史を顧みるなら、EUと同質の東アジアの平和と共存を目指す連合の構築はそう簡単でないことが分かる。東アジアの国々では、これまでの長い紛争の歴史は勿論のこと、先の戦争の歴史事実も共有されていない。日本の戦争責任に対する国民的な取り組み 隣国で起こる反日運動、多くの課題が解決されないまま残されている。東アジア諸国がEUのように平和と共存を課題にして国家間の枠に囚われない連合を創り出すまでには非常に長い時間が必要であると思われる。


EU協会でなければ出来ない21世紀の国際交流


日本が東アジアの国々との平和と共存のための連合形成に努力することが、EUが日本に望むこと、そして日本がEUに学ぶことであると言うプライジンガー博士の提案を、我々のEU協会は受け止めたい。何故なら、EU協会活動の基調として、EUの建国の理念、つまり一つの国民国家の利益を超えて平和と共存のために広域共通文化圏の平和的共存が述べられているからである。その意味で、EU協会は今までの二国間の国際交流活動と明らかに異なる課題を我々に問いかけている。

また、欧州評議会の目的の一つである「欧州文化アイデンティティ保護と文化多様性の推進」は、そのままEUに引き継がれている。日本のEU協会でも、それぞれの地域社会文化に即した活動を尊重した運動が行われ、国内での交流が起こるだろう。そして、同じ地平で、 東アジアの国々、ロシア極東地域や北朝鮮も含むかもしれないが、韓国、中国や台湾の地域でのEU協会活動との連携や交流も可能になるだろう。我々は、まず地域文化多様性を認め合った国内、東アジアのEU協会相互の交流もEU協会の活動に入れたい。そこから、プライジンガー博士の提案にむけた地道な努力を積み重ねたいと思う。


KNEU-No3 京都・奈良EU協会 会報No3 記載

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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から
欧州石炭鉄鋼共同体設立50周年を記念するために、2003年10月12日、欧州アルザス日本学研究所のアンドレ・クライン所長を講師に招き、奈良日仏協会、奈良日独協会、奈良日仏文化交流会の共催により「フランスとドイツの午後」が行われた。来賓として招待されたドイツ連邦共和国総領事ヨハネス・プライジンガー博士が挨拶のスピーチを行った。

2009年8月4日火曜日

プログラム科学論の研究課題

三石博行

プログラム科学論と人間社会学基礎論の課題

A, 問題提起としてプログラム科学論の展開のための研究課題

1、 自己組織系の情報科学とその情報概念に対自している実在概念の展開の必要性 

2、 情報性と実在性の一般概念を、人間社会学のレベルに落とすと、「知識」と「資源」の概念にならないか。

3、 自己組織系の情報科学に含まれる「狭義の情報概念」としての「知識」から、知識社会学を位置付けなおす必要はないか。

4、 狭義の資源概念としての社会や生活資源はマルクスのいう資本の概念と同義語であるなら、資源論は資本論の上位概念として展開できるのではないか

5、 人間社会学のレベルでの自己組織系の情報―資源科学は、知識社会学と社会文化生活資源論の二つの相補的学問領域として展開されないか。

6、 それらの自己組織系の情報-資源科学の科学哲学として、プログラム科学論が位置するのではないだろうか。


B.人工物プログラム科学論の課題

1、 人工物プログラム科学論の領域内に含まれる学問分野として人間社会学が挙げられる。その学問分野での中心課題は、人間社会情報と人間社会資源である。

2、 人間社会情報の現象(意識)形態を知識と呼ぶことにする。すべての人間社会情報はその了解過程では言語形態の情報、言い換えると知識として現れる。

3、 それらの言語形態の情報・知識は生活主体とその環境に対する指示情報を持つ。つまり、生活世界における知識とは、その生活世界の現実を理解するだけでなく、それに作用し、それを変えるものである。

4、 また、生活世界の知識(生活情報)は、どの社会的環境に対しても共通に成立する生活主体の社会的生存条件を確立するための一次生活情報の形態がある。

5、 さらに、生活主体の社会文化的環境に対して適用し、その社会文化的機能を担うための二次生活情報の形態がある。それは当然、その社会文化環境の改善を前提にしていると同時に、それはその特殊な社会文化的条件の生活情報、知識であるといえる。

6、 当然、生活世界(生活空間)の中には、それぞれの個別の特徴ある社会文化空間性が存在し、そして、その中で生活主体は、生活空間の豊かさを直接の目的にしない生活行動を取る場合がある。それらの行為の目的は、生活者自身の内的現実(主観的現実)を満足されるためにのみに生活行為が遂行される。それを三次生活行為といい。また、そのために必要とされた社会生活情報、知識を三次生活情報と考える。

7、 社会生活情報の主観的にも客観的にもその実在的、つまり物質的背景を資源、資本と考えるなら、社会・生活世界の科学は、社会・生活世界の情報(知識)とその資源に関する科学であると謂える。社会・生活世界の情報-資源の科学、これは人間社会学として分類されてきた科学領域、の科学哲学として、人工物プログラム科学論が位置する。


C.人工物プログラムに関する分析課題1 外在化過程

1、 現象学の古典的テーゼ、「内的世界の外在化と外的世界の内在化」。この主観的現実と客観的現実の弁証法的運動として認識、意識形成過程、生活世界の現象形態を理解してきた。

2、 言語過程、生活行為過程、労働過程、生産過程はともに内的世界の外在化過程である。この内的世界の外在化過程(言語活動、社会生活行為)によって社会生活資源が作り出される。それらの社会生活資源の匿名状態過程を物象化といい、それらの物象化された生活資源によって社会生活環境が作り出される。

3、 その形成過程は、社会生活主体のもつ社会的機能に対する意識、社会的役割に対する自覚とそれを実現する行為によって生み出される。それらの行為は、社会制度として外在化している情報(知識)によって制約され、決定される。

4、 つまり、外在化過程には生活主体の行為を決定するプログラムとその行為の条件を決定するプログラムがある。生活主体の行為を決定するプログラムは様式とよばれた。つまり、生活主体がその自我の構造として、生活の知恵、科学的知識、技能として持ち、自我を構成する情報の一部として所有する行為を決定する知識、プログラムである。

5、 また、それらの生活主体の行為は、それを取り巻く社会生活環境によって制約されている。この制約条件と呼ばれる情報、社会的現実として与えられた環境が、行為主体の洋式を制約、規定する。その意味で、制約条件(決まり、習慣、法律)の情報とその情報が発生する社会機能と構造を形成するプログラムがある。

6、 社会生活行為を生み出すプログラムとは社会的役割に即した行為を選択遂行する自我の構造と機能を意味する。自我の行為条件を決定する社会生活環境のプログラムとは社会的制度の内容を意味する。その制度は社会的経済的分業、社会的経済的コミュニケーション、社会的経済的生産過程に関する制度を意味する。

7、 この研究は、言語学、発達心理学から社会学や経済学までの研究成果を前提にしながら進むものと思われる。

D।人工物プログラムに関する分析課題2

内在化過程

1、 最も、神秘的なプロセス、人は何故、言語を習得したのか、社会的文化的アイデンティティを確立したのかという疑問がこの課題に付随する。

2、 この研究では、身体化の過程を問題にしなければならない。つまり、外的世界の情報、その世界での個人の特殊な社会的役割の了解作業が、その個人の自我の形成過程と密接な関係にあることは言うまでもないが、その情報は身体化され、つまり、脳神経生理的な物質的土台に入力されなければならない。その入力の過程の脳神経的、精神内科的、精神分析的、心理的作用、それを決定する機能が問題となる。それらを、内在化過程のプログラムと呼ぶことはできないか。

3、 今まで、このプログラムに関しては、絶対に相容れない二つの(もしくはいくつかの)理論があり、それによって、このプログラムに関して語ることが非常に困難であった。一つは脳神経学、もう一つは精神分析学である。現在は、脳神経学が優位に立ち、「脳科学」という用法で、行為過程の説明を試みている。しかし、それに対して、精神分析は、その説明では個人とよばれるある特定の社会的文化的存在者の言語活動の具体的内容まで立ち入って説明できないことを主張するだろう。

4、 客観的現実、社会的実在、生活環境や生活資源の物質的要素が決定する主観的世界形成過程は社会的様式(社会規範、習慣、社会制度や分業)が内的世界の行動規範にプログラム化されることである。そのプログラム化は内的世界、つまり生活主体を作る身体にそのプログラムを入力し、脳神経生理的物質化すること、その行動様式を生みだす身体運動を支える筋肉から反射運動までの肉体を構築することである。

5、 また、それらの運動を生み出す自我、意識、言語活動の身体的土台を作ることである。


あとがき

1、 プログラム科学論を展開するために、人間社会学の研究課題に引き付けて、その公理の一つ一つを検証しなければならない。今、資源論の著作作業の最中です。この課題までは行き着きませんが、作業の中で、不断に検討する必要がある。



参考
三石博行のホームページ 「哲学」「プログラム科学論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_01_03.html



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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。

ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3891.html


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2009年7月17日金曜日

我々はEUに何を学ぶのか

ヨーロッパ市民が求めるEU文化アイデンティティーとしての「平和と共存」

三石博行

Peace and coexistence≫ as an EU cultural identity as demanded by theEuropean citizen.

In our globalization society, a nation comprising of various races,cultures and languages forming its social milue is going to be bornand not in the form of a country supported by a pre-existing national identity। This is the magnificent experiment started by the EU.

When European citizens first began to call the two World Wars "our two Civil Wars", it was in order to relate them directly to thehistory of the formation of the United States of America by recalling the American civil war between its northern and southern armies almost150 years ago.

Thus it is necessary to agree via multiferious talks, not war, to evolve and develop the 《European United States》((United States of Europe)) as the formation of the European
citizen's cultural identity must be based in peace and thecoexistence.

Hiroyuki Mitsuishi


我々日本人は、1000年前からこの日本では日本語(少しは変化したが)が話されてきたし、これから1000年後も同じように日本語が話されるだろうと信じて疑わないだろう。しかし、この確信をいったい世界中のどれくらいの人々が持っているだろうか。
ヨーロッパから来た友人は、先祖、祖父の代ではフランス語でなくドイツ系の言葉を喋っていたといっている。彼の苗字もドイツ系だ。しかし、彼はドイツ系の言葉を日常的に喋ることはない。ドイツ語とフランス語は日本語の方言とちがい文法や単語も非常に異なっている。ゲルマン系の言葉からラテン系の言葉に同じ家族が3代で変わってしまう。こうした言語文化現象をわれわれ日本人は理解できないと思う。

国民国家の定義は、18-19世紀ヨーロッパで市民革命を経て成立した国家、フランス人とかドイツ人と呼ばれる同一文化と言語を持つ人々から成る国家を意味する。多様な言語文化が近代国家の国民教育政策で一つの言語文化に集約されていく。長い歴史の流れの中では、こうした地域の言語文化圏の変遷過程は珍しいものではない。
また、国際化社会では、多くの人々が海外で生活をする。日本人も外国に住み、そこで子供たちが成長する。もしくは、その地に永住してします。幸運にしてその国の国籍を貰えた人々の家族では、日本語を話す環境はそう長く続かない。アメリカでも日本語をまったく喋れない日系アメリカ人三世も多い。日本でも、ハングル語を喋れない在日韓国人三世や四世もいる。
主観的世界、自分の意識を中心とした世界から観れば言葉は非常に重要なものである。日本で生まれ、日本の学校教育を受け、日本語しか話せない在日韓国人にとって、自分が日本国籍を持っていないことが不思議であると思うだろう。

国際化時代では、同一言語文化を国や民族のアイデンティティーとして考えるこが困難になっているのだろうか。ヨーロッパ連合に参加する異なる言語文化圏の人々が、EUという新しい国家を目指すとき、何がそのアイデンティティーになるのでろうか。例えば、旧古代ローマ帝国の領地とかキリスト教文化圏ということがEU国民のアイデンティティーになるだろうか。EUが一つの合衆国として成立する過程で必要なEUアイデンティティーの基本が何かということは興味深い課題である。
ヨーロッパ評議会やヨーロッパ連合の形成の原動力となった二つの戦争を、今まで「世界大戦」と呼んでいたヨーロッパの人々が「市民戦争」と呼ぶようになった。それはアメリカの南北戦争を現在アメリカでは市民戦争とよんでいる歴史と重なる。あの戦争も、合州国家から合衆国家への変移を意味する。そう考えると、ヨーロッパ連合は連合国家から合衆国家の成立過程の一こまという仮説も成り立つ。EUは多言語を国語とするまったく新しい合衆国家を創る実験舞台にみえる。一言語文化をEU合衆国家の文化的アイデンティティーとしないなら、何がその合衆のアイデンティティーとなるのか。そこで二つの戦争を市民戦争として位置づけている考え方にヒントが与えられている。

つまり、それは平和と共存ではないだろうか。もし、この平和と共存が国家成立のアイデンティティーであると言えるなら、イギリスやフランスの市民革命が、その後世界史に大きな影響を与えたように、EU連合からEU合衆国家の成立も同じぐらい大きな影響を与えるだろう。それは過去の血と武器による革命運動でなく、話し合いと相互理解によって成立していく新しい平和共存の社会思想を我々に示すことになるだろ。
 
 
 
KNEU-No2 京都・奈良EU協会 会報第2号記載
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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html

ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から




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2009年7月2日木曜日

生活科学基礎論1

家政学・生活科学と生活学の形成史から観る「生活改善の科学技術」の学問形態

三石博行

アメリカ家政学の誕生から科学主義的生活科学へ
▽ 生活改善の科学技術としての「生活の科学」は、19世紀末のアメリカでは人間生態学( Human ecology)、家政学(Home economics )から始まり、発展してきた。アメリカ家政学の創設者であるエレン・リチャーズはマサチューセッツ工科大学(MIT)で化学を学び、女子教育の促進を課題にしながらMITに設置された女子実験室から家庭生活の改善のための科学教育を目指し、『調理と洗濯の化学』と『食品材料とその粗悪品』の二冊の小冊子を出版した。この学問は、その創設の段階から、生活改善のために自然科学の発達で得た専門的知識や技術を活用し援用してきたのである。
▽ 古い社会風習を打ち破り人間の平等と自由の生き方や考え方の上に新しい社会を形成することが、生活改善の科学技術の目的と合致していたのである。19世紀後半から20世紀前半にかけて人間生態学や家政学は封建的観念に支えられた古い家族制度を変革し、その中で女性の人間的自由を確保し人権を擁護するための知識であり技術であった。合理的精神の発達によって、女性の人権を認めない封建的観念を批判し変革する民主主義社会の条件を導くものであると信じられていた。科学的合理主義に基づく家政学教育が、そこで展開して行くのである。同時に、科学的な方法論、特に自然科学的方法論を家政学に取り入れることが、家政学の発展の方向を決定することになる。
▽ 家政学に、必然的に自然科学的研究成果やその研究方法が取り入られる。その意味で、生活改善の科学技術の形成には「科学主義」の思想があったといえる。そして、食生活の改善を目指す家政学が、食物学、食物栄養学、栄養生理学、分子栄養学と食物や栄養に関する学問として進化し発展してきたのである。科学的方法や知識を取り入れ発達してきた家政学、生活科学が今日の「生活改善の科学技術」の主流であることは疑いない事実である。

日本生活学の誕生から人間社会学としての生活学へ
▽ アメリカ家政学の形成と発展の歴史に対して、日本で形成される生活改善の科学技術の発展の経過は少し異なる。日本では1910年代に柳田國男から民俗学を学んだ今和次郎によって生活学(Lifeology)が提案された。今和次郎は前近代的生活風習や生活環境によってもたらされる生活の貧困性・生活病理を解決することが生活学の学問的課題であると考えた。彼の生活学の方法論として考現学を提案した。考現学とは生活環境を構成している要素である物的材料、生活道具、生活資材、生活素材などを調査の対象に限定し、まるで昆虫採集のようにそれらを採集し、それらのデータを統計的に分析する方法である。その考現学的方法を用いて生活病理の社会環境の要因(外科的生活病理)や生活習慣から来る要因(内科的生活病理)を分析した。つまり、現状の生活環境に適した適正な生活改善対策を提案するためには、生活環境の客観的現実を正確に認識することが必要である。そこで、生活現場(フィールド)を構成している物的根拠、生活道具や生活環境の物質的要素を集める。その物質的要素に基づいて分析や解釈をおこなうのである。考現学が今和次郎の生活学の調査方法を支える考え方となっている。その方法に基づいてフィールドから調査データが集められ、生活病理の状況が理解されることになる。その意味で、今和次郎の生活学は実証主義の立場にたって社会文化現象を分析する研究姿勢を取った。
▽ さらに日本で生まれたもう一つの生活学の流れを紹介する。それは、戦中1940年代軍国主義の嵐の中、勤労者の健康を守るために医学者である篭山京によって提案された「生活構造論」である。医者である篭山京は生理学的立場から人間生活の回復や消耗疲弊の過程をモデル化して、勤労者の生命や生活力の擁護のために生活構造論を展開した。生活する人々の肉体的条件、生理的条件、経済的条件を前提に、それらの人々の生きている現実、生命、言い換えると生活人の肉体的経済的素材性を擁護するための理論であった。その意味で医師、生理学者篭山京は、軍国主義の最中にあって、今和次郎の文化人類学、民俗学的視点に立った生活学と異なり、経済学的立場に立ち、現在の生活科学の中に含まれる生活経営的立場を取って、勤労者の生活や健康状態の改善を課題に生活学を提案した。篭山京も、生理学的視点を労働経済の中に持ち込み、つまり科学的合理精神に立って生活改善の科学技術を確立しようとした。
▽ そして戦後1950年代以降、欧米の民主主義社会をモデルとして始まった生活改善の科学技術もその影響を直接受けた。アメリカ家政学が民主主義社会での大学女子教育に取り入れ、経営学に基づく合理的な家庭管理、自然科学の知識を活用した衣食住生活の改善、医学的知識に基づいた健康管理や生活衛生管理や予防医学などアメリカ家政学の発展の中で形成した科学的知識が普及した。
▽ さらに、経済的生活の改善を目指して研究がなされた。1950年代では、篭山京の経済生理学的な生活構造論は、アメリカの社会機能主義や社会システム論やマルクス経済学の影響を受けながら、青井和夫、松原治郎と副田義也によって1950年代に生活システム論へと展開した。また、今和次郎の民俗学的生活学は、日本独自の生活文化論へと発展していった。
▽ これら日本に生まれ発展していった生活改善の科学技術の流れは、人間社会学を基盤とする生活学の形成と発展に繋がっていくのである。


生活改善の学問の方法論・プラグマチィズム的役割分担をもつ学際的知識群 
▽ 「生活の科学技術」を一言で説明すると「生活改善のための知識と技術を探求する学問」と呼ぶことができる。この目的のために活用できる他の分野の知識を援用し生活科学研究領域が形成される。生活の科学は学問的体系を求めるためにそれらの知識を援用しているのでなく、生活改善に役立つ知識を他の領域からプラグマティックにかき集め、実践的に活用しているのである。
▽ そのため、生活改善のための学問(生活の科学技術)の領域は広い。人間の生活環境と生活行為に関する科学であるため、自然科学系の学問(生物学、物理学、化学)とその応用科学(医学、工学、農学)や社会経済学系の学問(経済学、経営学、社会学)、そして人間学系の学問(発達心理学、文化人類学、教育学)がある。また最近では情報処理工学や国際経済学、国際文化学なども生活改善のための学問領域に取り入れられている。
▽ つまり、他の学問領域の知識が生活改善のために利用できるなら、そこに「生活の科学技術」に関する新たな研究領域が提案されている。そのため、生活改善の学問は時代や社会の生活要求に支えられ、それらの要求を満たすために、他の分野の知識と技術を援用活用して、新しい「生活の科学技術」の課題を提案しながら、発展し続けていくのである。
▽ 言い換えると、「生活の科学技術」は、学問的知識の体系の完成や一貫した科学方法論の確立を目的にした知の探求は行われない。そして、その学問の目的は、唯一、生活改善のための実践的な技術と知識の探求に収束される。そのために、知識や技術を生活改善の目的に向かってプラグマチィズム的に実用的知識と技術が採択され、生活改善のために活用されるのである。
▽ 例えば、食生活の改善のために、食物栄養学、栄養生理学、分子栄養学などの分野で食物の栄養成分やその体内での消化や代謝過程に関する知識、またそれらの消化や代謝過程に関連する生体内の分子生物学的な知識などが役立つ。それらの知識は物理、化学や生物学から成り立ち、その技術的応用に関するものである。食物に含まれている栄養成分の物理的、化学的、そして生理的特性を理解することで、人々の健康管理を科学的に実行することができる。
▽ 食生活の改善は生活科学の一つの分野である食物栄養学、栄養生理学や分子栄養学の知識によって完全に保証される訳ではない。それ以外に、それらの栄養成分を含む食材の栄養成分を活かした調理技術、美味しい料理方法、楽しい食卓の飾り付けや料理の並べ方、テーブルマナーなど生活技術や行為などのスキル改善も課題となる。
▽ 食生活の改善のために、自然科学の専門的知識を駆使した生活技術の開発のために生活科学の研究が取り組まれる。また、同様に生活文化の向上や生活行為のスキル改善を研究開発する生活学の課題も取り上げられる。食生活環境の改善や食生活運営を行う生活者のスキル向上に関するあらゆる課題に取り組むことで食生活の改善という「生活の科学技術」の目指す方向が実現されてゆくのである。
▽ 自然科学やその応用技術と人間社会や文化に関する学問とその応用学の知識や技術、方法論が生活改善のための科学技術を作り出す。それらの学問は、それぞれにその知識と技術が有効に活用される範囲に対して「生活改善の科学技術」の知としての役割を担うことになるともいえる。それらの知識や技術は「生活改善の科学技術」のための有効な知の一部として配列されることになる。それらの知識における知識の配列の順番や上下関係は、「生活改善の科学技術」を構成する多くの学問分野の中では問題にされない。それらの知識は、生活改善のために取り出される有効な知の集まりとして「生活改善の科学技術」の中に位置づけられるだろう。
▽ この生活改善の目的を果たす役割として集められた知、つまりプラグマチィズム的役割分担をもつ学際的知識群が「生活改善の科学技術」であり、自然科学的方法論に立つ生活科学と人間社会学的方法論に立つ生活学であるといえる。


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2009年6月29日月曜日

新しい国際交流活動のあり方を模索して

新しい国際交流活動のあり方を模索して

京都・奈良EU協会副理事長 三石博行

大衆化し日常化した国際化社会のなかでの国際交流運動の課題

国際化社会は資本主義経済の進歩によって成立した。19世紀以降、鉄道、海運や航空等の交通機関の発達によって国際的な経済活動が発展し、20世紀後半以降、インターネットの発達によって、高度情報化社会が確立していった。情報伝達は早大量の生産物が国境や海洋を越えて流通し、国際化社会は急速に進んだ。

豊かな社会は、市民は国際観光を楽しみ、簡単に海外を旅行することができるようになった。また大衆化した大学でも海外との学術交流や学生留学が取り組まれ、日本の大学で学びながら外国の大学の講義を受けることもできるようになった。日常的に美術館には海外の美術館の有名作品が展示され、海外の芸術作品が、展示会場、ギャラリー、喫茶店などで頻繁に紹介されている。市民センターやコンサートホールでは海外の音楽が紹介され、海外へ行かなくとも海外の伝統文化、音楽や美術に触れることができる。

テレビから海外のニュースが流れ、珍しい海外の事情を知るためにはインターネットやテレビ番組を自宅で十分検索することができる。スーパーや商店にも海外から輸入された商品が並んでいる。また、各市町村の自治体では国際文化交流事業が取り組まれ、海外の市や町と姉妹都市を結び、全国津々浦々まで広がったわが国の国際交流活動は国民の日常生活に溶け込み、お茶の間の、そして街角の課題になっている。

今までの国際交流団体の活動では、珍しい海外の文化を市民に紹介する役割があった。しかし、大衆化し日常化した国際化社会では、その伝統的な国際交流活動の役割の占める意味が希薄になろうとしている。言い換えると、海外の珍しい文化の紹介という非日常的なニュアンスで語られていた国際交流は意味を失いかけている。国際化社会での国際交流活動には、海外の生活文化との交流である以上、非日常的な世界への興味ある交流活動というニュアンスが付属していることは否定できない。

しかし、大衆的で日常的になった国際化社会では、国際交流活動の果たす社会的機能や役割について考え直す必要があった。日本の近代化過程、戦後民主主義社会化過程での伝統的な国際交流スタイル、特に欧米先進国との国際交流活動では、少数エリートの海外留学経験者・文化人を中心とした文化活動が中心となり、大衆社会からすれば非日常的な海外先進国の文化を紹介することを主な目的とした国際交流の社会的役割があった。その社会的必要性が、今、大衆化し日常化している国際化社会・現代日本社会では失われようとしている。

生活世界の日常的な活動の一部となった国際交流活動が、伝統的な国際交流、つまり非日常的な海外の文化を学ぶ活動のスタイルの存在理由とその社会的必要性、新たな国際文化交流のあり方を問いかけようとしている。我々は、以上のべた状況の中で、京都・奈良EU協会を発足することになった。この協会の在り方を提案するために、国際化社会での国際交流の存在理由を明確に示さなければならなかった。


「地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の交流

海外を旅した人々は、世界のどこであろうと旅先で会う人々、言い換えれば、世界の一部である国や地域に住む人々が、その生活空間や地域社会が世界の中心に位置づけられていることに気づく。世界のへき地と思われた所でも、そこで生活する人々にとってはそこが世界の中心として位置づけられているのである。

地球が丸い球である限り、「地域という世界の一部」は地球の中心であり、そこから世界のすべての他の地域に地理的にも空間的にも広がりが出来ているのである。つまり、地域という世界の一部は、そこに定住する人々にとっては、つねに世界の中心に位置するのである。この感覚は地理的にも合点がいく。言い換えれば、旅先を世界のへき地であると感じたのは、旅人が住んでいた町や国を世界の中心と思っていた主観的な解釈によるものであることに過ぎない。地域という世界の一部で生活する人々は、その人々にとっては常に地球の中心なのである。

世界のへき地と世界の中心の主観的判断理由こそ、私たちの意識を作り出している文化や社会の姿である。この自己中心的な世界観に、自己の外にあり自我を規定する文化や社会の基本的な姿を見ることができる。この基本的な姿を一般に哲学者や社会学者は「共同主観」と呼ぶ。

また人々の意識・観念形態もその共同主観的な判断様式(社会常識)に由来している。いずれにしても、世界のへき地や世界の中心に関する主観的な判断は、旅人や定住者のそれぞれに固定し定着し、不可避的にそれらの人々の価値観、ものの見方、判断基準、行動パターン、言語活動を規定する文化や社会的意識であるといえる。

つまり、その不可避的な文化・社会的意識、観念形態によって、それに規定される人々の生活世界の認知基準、解釈基準、判断基準、行動形態が作られる。その二つの立場が相互に交差することがない限り、他の世界の地域をへき地と決め、自分の地域を世界の中心と思い込むことを対自化、つまり自分の外に置いて観察することはできない。その意味で、旅が反省の行動様式をもつといわれるのである。

そして、世界という他の地域との交流は、旅人のこれまでの世界を地域という世界の一部に相対化する作業として、意味をなす。つまり、旅によって、他の文化や社会の共同主観的空間を理解することによって、無意識的に絶対的に固定されている己の共同主観的空間を相対化する機会が与えられる。そのことが、生活や文化交流と呼ばれる旅の意味となる。

もし、無意識的に絶対的に固定されている共同主観性(自己の所属する文化)を相対化することのない場合、他者の住む世界のへき地と自分の住む世界の中心の主観的判断理由を問いかける機会はない。そして、その非反省的な日常生活、文化や社会の観念形態を固定した視点、文化的社会的常識を無条件に前提とした意識から、「絶対的ナショナリズムや民族主義」が自然発生的に生み出される。

「絶対的ナショナリズムや民族主義」は非反省的な社会文化観念形態・共同主観の極端な結末である。世界の中心から世界のへき地へ一方的に取り結ばれる国際的関係、支配する国と支配される国、優勢に立つ地域と劣勢に置かれた地域、中心と周辺、経済や政治的優越度の差異がそのまま文化的、生活世界的優越度として判断され、植民地国家への偏見と差別意識が絶対化されるのである。

欧米植民地主義に対抗し、豊かな生産力を獲得し、強い国家を目指す我が国の近代化政策の歴史の中では、欧米諸国との友好関係を推進する市民運動の場合にも、両者の経済的政治的優越の差異を無くし、国家的優勢と劣勢の位置関係を改善するために、文化交流活動が機能していたことは否定できないだろう。それゆえに、我々は「学ぶ側」であり続け、彼らは「伝える側」であり続けた。

「差異」や「差別化」は文化や社会意識に基本的に存在する。我々が文化的社会的存在であると規定されるなら、我々の意識は、その文化や社会の共同主観性から切り離され、歴史的社会的要素と無縁に、またそれらの要素から超越して存在することはない。一般にある固有の歴史性と社会性、文化性の名詞を前提にしない「共同主観」という概念はない。それらは具体的で現実的な社会文化のそしてその伝統的な共同主観の産物であり、それゆえにある共同主観性は他の共同主観性に対して常に不可避的に「差異」や「差別化」を前提として存在する意識形態であるといえる。

「いま、ここに」という地理的時間的限定のない自我はない。すべての自己は具体的な今と具体的なここを前提にして成立していたし、している。自我を創り出している文化的社会的に固定された観念形態や生活世界の意識(常識)は、絶対的な自己中心性を前提として成立している。共同主観的確信、言い換えると常識的判断は、一般にその生活者の住んでいる世界、共同体の内部から批判的に観察することは不可能である。そのために、その生活者の無条件に成立していた生活世界から離れ、他の人々、異なる文化や社会制度で生きる人々の中にさまよいこむことによって、それらの人々の文化や社会に対する「驚き」や「違和感」という感覚を通じて、意識的に対象化される。

そして、他の生活文化世界への「差異」や「差別化」は、絶対的に中心化されている自己の生活文化意識、自己意識の外に置かれた世界に過ぎない。無条件に設定されている「差異」や「差別化」の社会文化意識を対自化することなしには、自分の文化や社会を地域という世界の一部として理解することも、他国の文化や社会を自国のそれと共通の世界の地域として解釈することもできないことに気づくのである。

他国の生活世界と自分の生活世界の差異を他国の生活世界の中で理解することは、他国の生活世界への差異感として始まる。それを我々は、「カルチャーショック」と呼んでいる。自分の常識や社会観念を根底から否定される経験を通じて、無条件に絶対的に世界の中心の置かれている自己の生活文化意識の文化的な相対化が可能になる。

大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換が常に前提となる。我々は旅人として世界の他の地域の人々に会い、彼らの日常生活の中に交わり、彼らとの交流を通じて、ひとつの地域という世界の一部としての自分の所属している社会文化を自覚できる。と同様に世界の他の地域から来た友人と、自分たちの生活世界の中で交流する。彼らの立場を、旅人であった自分の姿に投影することによって、彼らの社会での彼らの立場や感覚を、共同主観性を無条件に前提としている現実の自分の今を反省的に理解することができる。

このように、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換を可能にすることで、一つの地域である自分の住む世界が、無条件に他の人々の住む地域からみて中心に位置すると思う感覚のおかしさを自覚的に理解する機会を与えることになる。こうした反省的な文化社会共同主観中心主義への観察が、結果的に「絶対的ナショナリズムや民族主義」を反省的に理解する契機を与える。

つまり、大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」の人々ともう「一つの地域という世界の一部」の人々との交流からはじまる。それは二つの文化的に異なる生活世界の人々の交流である。そして、それぞれの生活世界の固定化された文化や社会観念形態の相対化を意味する。二つのもしくは多様な地域・世界の一部の人々の相互訪問活動や協同事業活動によって、地理的文化的な立場の相互交換を生み出しながら、それらの新しい時代の国際交流活動は可能になる。


生活の場からはじまる国際交流

京都・奈良EU協会を始めるために、国際化に伴う生活環境を前提として、多文化共生社会での生活様式を見つけ出すための活動について議論し検討してきた。その現在の具体的な提案は「生活の場からはじまる国際交流活動」であった。二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は、一つの地域の人々がもう一つの地域の人々との相互交流すること、世界の二つの異なる地域に生活基盤を持つ人々が協同で生活生産活動を行うことを意味する。

自分の文化の特殊性を他の文化群(多くの文化)の中で相対的に理解すること、言い換えると自分たちの社会文化の姿を世界の一部の地域の文化を他の世界の地域の文化群の中で理解することが地理的な差異を超えて相互交流することになる。地理的差異を超えて二つの文化が交流するためには、相互に文化的社会的な差異を自覚しなければならなかった。

自分達の文化と他国の文化の違いと共通点を理解し合うことで、二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は可能になる。すなわち相互生活生産活動を行うことは、相互に自らの地域的基盤を前提とすることが要求される。他国の人々の文化との関係(違いや共通点の理解)で自分達の文化を理解することによって、自分たちの文化を対自化することが可能になる。

生活の場からはじまる国際交流活動は自分達の文化を他の文化との関係で理解することによって二つの文化の差異(違い)を理解していく契機を与えてくれる。何故なら、生活の場は地域社会の伝統的な我々の生活文化を前提にしている。そしてそこからはじまる国際交流活動は、他の地域社会の伝統的な生活文化への理解が文化交流活動の課題になる。このような国際交流活動のスタイルを、「相互交流型の国際交流活動」と呼ぶことにしよう。

相互交流型の国際交流活動は、海外の文化を地域社会に紹介するだけでなく、自分たちの地域社会の文化を他の海外の地域社会に発信することになる。つまり、この協会活動は、ヨーロッパ社会の文化を私たちの地域社会に紹介するだけでなく、京都や奈良の文化をヨーロッパ諸国の地域社会に発信する活動を課題にする。

生活の場からの相互交流型の国際交流活動は、文化、経済活動を含むすべての生活活動を意味する。従って、これまでの国際交流活動が文化交流活動に限定されていた枠を超える可能性が生まれる。その意味で、これからの国際交流活動は、文化交流が余暇活動や教育活動に限定されず、経済活動や社会活動に発展する可能性を持つ。生活の場から創出されたあらゆる形態、多様な活動のスタイルが、相互交流型の国際交流のあり方になる。生活の場という多種多様な人々の特殊性と共通性から生み出される文化活動の可能性がそこで展開されることになる。

京都・奈良EU協会を発足するにあたって、以下の3つの国際交流活動の課題を考えた。

1 、生活の場から始まる文化事業
2 、地域社会に根ざした国際交流活動
3 、自己実現型の文化交流事業


持続可能な参加型国際文化事業

地域社会(地域という世界の一部の)に根ざした文化事業が世界という文化的に異なる他の地域と交流することは、それぞれ異なる生活文化の場をもつ人間達が、地理的距離を越えて行き交い、また文化的差異を超えて理解し合うことを意味する。交流の主体は地域社会の住民である。従って、この組織は京都、奈良などの関西地方の人々である。関西地方の文化、社会の特殊性を前提にして、EU諸国やその周辺国の地域社会の人々との交流が京都・奈良EU協会の活動の目的である。

また、この組織はEU諸国やその周辺諸国の地域社会の文化を京都、奈良などの関西地方の人々に紹介し、また自分達の文化をEU諸国やその周辺諸国の地域社会に紹介する組織である。この文化交流は、京都・奈良を中心とする関西地域の人々が主体となる。それらの協会会員の主体的な文化事業に参画することは、それらの人々がその事業を起こすこと運営することである。活動の参画や運営する人々の多様な活動の過程によって、協会の組織や運営形態が形成される。従って、協会は会員の活動の過程を重視することが求められる。

そして、会員が創る文化交流事業である以上、参加者の事業への主体的な参画度(企画、参加の程度)によって、この協会の活性が保障される。協会の事業構築過程を通じて、その事業に参画した人々の自己実現を可能にしようという活動が、この協会の原動力となる。この協会は、明確に「会員による会員のための組織」であることを強調する必要がある。協会の活力は、会員の積極的な参加と多様な活動の創造にありことを明確にし、それらの人々によって運営される組織であるように制度化しておく必要がある。京都・奈良EU協会は、以上の活動の基本を保証するための会則を準備した。

そして、現代社会では、自己の生きがいを求めることも社会的要求となっている。この社会的要求を満たすことには、自己実現を可能にする活動が求められていることを意味する。その自己実現を可能にする運動を課題にすることが、この協会に問われるのである。そのため、協会は、若者の自由で多様な活動の場を保証することを、活動の課題に挙げてきた。

また、国際文化交流事業を、地域社会の人々の生活経済を豊かにし、生活環境を快適にするものとして位置づけ、自分達の生活文化を豊かにする社会文化機能として活用することが求められている。その意味で、この協会の役割は、諸外国の社会文化に関する知識や情報の提供だけでなく、参加者の生活の場からの諸外国の社会への知識や情報の発信や生活の場からの生産物や創造物の発送への協力も、その中に含まれるのである。

国際化した社会では、企業が企業の論理の上でこれまで国際文化の交流に貢献してきた。世界中の素晴らしい商品や文化が、レストラン、スーパーマッケットや商店の軒先に溢れ、人々は日常的に食卓で、ファッションで、住居の装飾で、国際経済文化の交流の成果に潤されている。この日常化する国際化社会の中で、京都・奈良EU協会は、国際化社会に対応しようとする地域の人々、商店やレストラン、企業家などの経済活動を支援できる文化事業を模索する。この新たな試みを実現するために、京都・奈良EU協会をNPO、非営利社会法人にした。


新たな国際交流活動としての地域社会での国際文化事業

以上の視点から、協会はこれまで奈良を中心に多くの事業を起こしてきた。そして、今後も精力的に以下に示す事業を企画したい。

1、新しい文化経済事業を起こし、経済生活の場、事業の創造を目指す人々をサポートする活動。

2 、豊かな経験やスキルを持つ人々が、若い世代の文化経済活動を支援し援助する人材バンクとしての活動。

3、学生のインターンシップを受け入れ、大学では経験できない社会活動、文化マネージメントを体験してもらい、その経験を、これからの自分の生活形成に役立てる活動。

4 、関西地域に居住するEU諸国やその周辺の人々との文化交流を通じ、それらの人々(留学生)の支援。

5 、EU諸国とその周辺国の地域社会文化を学ぶ関西地方の学生や社会人が参加する研修の企画。

6 、市民が生活の場で日常的に接し理解し合える国際文化交流活動。


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6. EU関係及びEU協会運動

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2009年3月4日水曜日

哲学的、科学的、生活技術的な知の相互関係

三石博行


まるで、数学の証明問題を解くように哲学での論理実証作業は行わなければならないだろう。

まるで、物理学の実証実験をしているように科学作業は公理の証明とそれの基づく現象の予測をおこなわなければならないだろう。

まるで、技術開発を行うように現実の生活世界の改革は有効な知識と技術を集め、具体的な政策を立てながら進められなければならないだろう。

哲学的であることで、科学性の点検が可能になる。
科学的であることで技術的開発力の柔軟さを身に付けることができるだろう。

生活世界で実践的に知を活用することで、哲学的思惟の根拠を得るだろう。

これらの三つの柱、哲学的、科学的、生活実践的な知のあり方は相互に補足し合っている。

哲学的であるためには、科学的分析力や生活実践的な技能力が必要である。
科学的であるためには、科学的固定概念を振り返るために哲学的反省力と生活世界を豊かにする技術開発力を身に付けなければならない。
生活世界での実践力を身に付けるためには、生活技術を導く豊かな科学的知識が役に立ち、生活感覚を磨き上げる深く繊細な人間的観察力が役に立つ。

日常生活では、常に、哲学、科学と生活技術の三つの知識を磨き上げるための生活時間の配分が必要である。


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