2008年11月20日木曜日

ホームページをはじめます

ブログを書きながら、ブログでは表現できないものをホームページを使って表現してみようと思います。

ホームページの名前 「日常性と思想性の相補運動」にするか考えている採集です。取り合えず、進めてみます。


http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/index.html

2008年11月19日水曜日

ブログをはじめた原点に戻って

三石博行


今までの研究してきた課題、これは主観的には一貫した流れを持っていると信じていた。いや信じていたから色々な課題に飛び火しながら、その時その時のテーマに没頭していた。

しかし、時間が経って、それらの課題が今更ながら「何のために、そのテーマを問題にしていたのか」と自問するとき、今まで一貫していると信じていた課題に亀裂が生じ、その主観性を懐疑の坩堝の中に放り込まなければならないのである。

そうしたときに、今まで取り組んできた複数の課題にそって、ファイルを作りなおし、書いてきた論文や文章(未発表文章も含めて)を配列しなおした。これらの狭い研究室行った作業は、それでも、その懐疑の坩堝から完全に何かを抽出するためのラジカル反応を生み出したとは言えなかった。

そこで、そもそも幻想でしかない確信とやらを真面目に取り戻す作業に取り掛からなければならないのである。それらの主観的な確信は、私という人間が現実の世界に対する感覚や感性を前提にして成立している何らかの満足感にすぎないのではないか。真面目に私が取り組む課題が時代的課題だと言えるのか。

そうした主観的思い込みが、しかし、他者の主観的思い込みと共通し、その共通総数が多いなら、真面目に私は、主観的に思い込んだはずの課題を時代的課題と錯覚してもいいのだろう。そう考えるのは共同主観性ということばを知っている人の共通のテラを含んだ言い分なのである。

つまり、その主観的確信の不足とは、共同主化されていない私の課題の自覚に過ぎない。私はこの主観的に納得してきた「時代的問題性の解明のために」という確信と呼ばれる感情一種の幻想を共同幻想化する方法を知らないのだと思えた。

主観的確信を共同主観的確信へと発展させることは、自分を自分で納得させていた行為目的、つまり自分の行為を正当化し続けてきたある大儀を、社会的に検証し、他者の批判の北風と共感の日照りに十分に晒(さら)すことが前提となる。

もし、冷たい他者や暖かい他者との出会いを避けるなら、考えや主張は主観の空間に留まり、彼個人の生活を支え、彼個人の生き方に方向を示したとしても、いつのまにか彼個人の主観的な世界の中で拡大し、そしていつしかその個人の生物的生命現象の消滅と同時にそれも消滅するだろう。

主観的世界を共同主観化することが「生活運動から思想運動」への作業に過ぎない。その作業は、私の主観的確信を発信することによって、まず始まるのである。

そう気付いたとき、今までの私はの哲学作業が問われた。これまで十数年間、参加している学会での発表以外に、自分の考え方を社会に発信したことはなかった。つまり、私は自分のために思想を食べ続けてきた哲学消費者であった。そして私に素晴らしい哲学という生きるための糧を提供した哲学生産者になる努力、そうでなければならないという志向性を真面目に問いかけてはいなかった。

そう思い、昨年の12月にこのブログ、『生活運動から思想運動へ』をはじめてみた。 このブログをはじめた原点に戻り、このブログを継続する意味を再度理解したいと思った。


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学ぶとは胸に誠を刻むこと

三石博行


久しぶりに自分のブログを開いてみると、未公開の文章があることに気付きました。この文章は匿名の投稿者さんからものです。長いことほっといてごめんなさいね。

とても、素晴らしい文章ですので、記載します。


匿名の投稿文

初めまして。

「直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。」医学にも歴史学にも、数学にも、学び、問うていく長い道のりすべてに、先生のおっしゃることが通じると思います。


そして、学ぶとは知識をあつめて自分の周りに要塞をつくり自分を守ることではなく、アラゴンのうたのように「学ぶとは胸に誠を刻むこと」学び、問うていくことに、みずみずしい直感を保てるように、自分を整えていたいです。

知識を集めて気が済むよりも、それはとても難しいことですが。

2008年2月17日



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2008年11月18日火曜日

長い休みを明けて

今年の一月からブログを休みました。理由は健康上の都合です。しかし、健康を回復して、今までブログを書く作業に戻るまで時間が大変掛かりました。ブログは簡単に続けられると思っていましたが、一回、ブログ表現に必要なライフスタイルや気持ちを失うと、なかなか元に戻れないことが分かりました。今回、こうしてブログを再び書くことが出来たのは、勝間和代さんの本を読んでブログの意味を教えられたからだと思います。発信することの意味を再度自覚してながら、再出発します。