2008年1月15日火曜日

日本の近代化と科学の大衆化

わが国の近代化過程での「科学の大衆化」
La vulgrisation scientifique dans le processus de la modernisation sociale au Japon


三石博行

はじめに
日本の近代化過程では、地域社会、農村社会で科学啓蒙教育が起こる。この活動も科学の大衆化と呼ばれる社会文化現象である。それらの活動を推進する人々は大学研究者であった。何故、大学が地域社会の科学の大衆化に寄与しなければならなかったか、近代化過程で生じる古い社会観念形態と科学主義のそれとの葛藤に焦点をあてながら議論する。

「プロレタリア科学」・「大衆的科学」の形成としての「科学の大衆化」
「科学の大衆化」という用語は、我が国では戸坂潤によって、はじめて用いられた。彼は説明によると、市民社会になったとしても、科学はそれ以前の少数の封建支配者と同様、少数のブルジョワ階級に占有されている。そこで、科学をより多くの人民、無産者の知識とすることが科学の大衆化であると彼は述べている。
戸坂は科学の大衆化を科学の通俗(popular)化を分別する。何故なら、科学の通俗化によって科学を多数者の平均水準に下げるのでなく、多数者をこの科学のレベルに近づけることが科学の大衆化であると、彼は考えていた。
また、科学の大衆化は科学の啓蒙化ではないと戸坂潤は述べている。啓蒙とは、彼の解釈では「蒙を啓く」こと、つまり大衆の愚かな知識(蒙)を正しい方向に啓である。しかし、「科学の大衆化」は、啓蒙のような「支配者による被支配者の教育を意味するのではない」。つまり、彼は科学の啓蒙と「科学の大衆化」を峻別したのである。
そして、大衆化は「多衆を組織する」であると考える彼は、「多衆」によって、または「多衆」のために、科学を組織すること、「科学が大衆みずからのものとなる」なることが「科学の大衆化」であると考えた。大衆自らが創造する科学が戸坂潤の解釈した「科学の大衆化」であった。
そして、科学が真に大衆のものとなるには、「大衆的科学」、「プロレタリア科学」の成立が無ければならないと帰結するのである。戸坂潤によって、定義された「科学の大衆化」とは、科学を分かりやすく市民に理解させるための科学報道や科学の啓蒙活動でもなく、大衆の科学の成立、「プロレタリア科学」の成立を意味するのであった。

科学啓蒙教育活動としての「科学の大衆化」
戸坂潤の「大衆の科学・プロレタリア科学」の思想は、終戦直後1946年に、マルクス主義者によって結成された民主主義科学者協会の活動に引き継がれる。そして、その後、左翼科学者運動に受け継がれながら、日本科学者会議の活動として展開していく。彼の継承者によって、今でも「科学の大衆化」の用語は使われている。しかし、彼の継承者達の用語と彼が使った用語には、基本的な意味の食い違いが生じている。
例えば、民主主義科学者協会や日本か学者会議の中で語られた「科学の大衆化」は、科学的合理主義精神や科学知識の大衆への啓蒙伝達を意味していた。何故なら、非合理的封建制度の風習や習慣に地域社会、取り分け農村生活者が支配され、搾取されることを防ぐために、科学的知識とその合理的精神を学ぶ必要がある。また、科学的知識の権力者の独占と乱用を防ぎために、市民が科学を正しく理解する必要があると考えた。
明治以来、近代化を進める日本社会で、もっとも封建的制度が残存したのは地主制度を持つ農村社会であった。地域農村改善運動によって、農家での古い仕来りや生活習慣の改善や農村社会の近代化によって、豊かな生産活動や生活が導かれると「進歩的知識人」は考えた。
戸坂の主張する「大衆の科学・プロレタリア科学」の形成以前に、大衆が科学的合理主義精神や科学的知識を持たなければならない。当然、学識や近代合理主義精神文化のない農村社会で、戸坂の謂う科学の大衆化は実現しそうもない高い理想であった。その高い理想、戸坂の謂うプロレタリア科学の創造を目指すにしても、最初に取り組まなければならない課題は、地域社会の教養教育普及運動としての啓蒙活動であった。地域農村改善運動を進めるためには、農村地域社会での科学教養教育普及活動、科学啓蒙教育活動であり、その活動を担う民主科学運動を推進する研究者の民間教育研究であった。
理論家、哲学者の戸坂が科学の大衆化を科学教育の啓蒙化と峻別したが、現実の地域社会、農村社会での科学の大衆化の活動は科学啓蒙教育活動から出発するのである。そして、戸坂の科学の大衆化の用語は、民主主義科学者協会や日本科学者会議の科学の運動の中では、市民がより豊かな生活社会環境が創りだすために、科学的合理主義の精神や科学的知識を普及するための啓蒙教育活動として理解されているのである。

専門研究者による「科学の大衆化」
専門分野の知識を一般市民が理解できるように伝える手段は市民向けに公開講座だけではない。専門知識を市民、大衆が理解できるように解説する著作活動もその一つである。例えばアインシュタインの著書「物理学はいかにして創られたか」は、最先端の物理学の知識を困難な数式を使わないで一般市民に分かりやすく説明している。
専門家が専門分野の知識を分かりやすく解説する書物は、科学の大衆化の手段である。岩波新書、講談社ブルーバックス、中央新書等々、わが国では多くの専門家による大衆向けの科学解説書が出版されている。これらの著作活動も、科学者による啓蒙教育活動としての科学の大衆化の一つである。
科学啓蒙教育活動を推進する社会機能の一つとして高等教育機関がある。大学の学部学科の専門教育では、教育方法は制度として、つまり専門教養教育、専門入門教育、専門課程教育の段階的な教育課程の内容を成り立っている。そこで、大学が取り組む科学啓蒙教育活動では、地域社会の生産者や市民が理解できるように、講義内容をより一般的により易しく理解可能な方法で提供できるように、その制度や教育方法を活用しながら市民への啓蒙教育活動に活かすことになる。
戦前の戸坂潤、戦後の小倉金之助や現代の神田嘉延氏らの科学の大衆化、プロレタリア科学創造から地域社会の教養教育普及運動や民間教育研究運動に共通する点は、科学啓蒙活動が商業的ジャーナリズムでなく大学など高等教育機関等の専門家が科学教育活動の担い手になるという見解である。
戸坂潤は科学の通俗化と科学の大衆化を峻別する基準として、科学的説明とジャーナリズム的説明を分けている。戸坂の謂うジャーナリズム的説明とは正確な科学知識の説明ではなく、分かり易さを優先した比喩的な説明が用いられることを意味している。大衆的理解を第一の目的にした科学知識のジャーナリズム的説明を科学の通俗化であると述べている。科学の通俗的説明は、科学的知識を曲解し説明伝達することで、大衆の中に似非科学と科学の混乱が生じるからであると考えた。
戸坂に限らず、科学は純粋に世界を認識するための思考や論理であり、学問は真理探究の行為であると理解している人々にとって、その正確厳密な科学的説明を歪めて伝達することは許されない。したがって、科学真理探究の行為が、ある個人の利益、一部の支配者階級、資本家や国家権力の利益追求の道具になってはならない。科学者の倫理問題として、科学伝達の厳密なあり方を主張しているのである。
つまり、20世紀の科学啓蒙教育活動では、科学知識は正確に知る専門家がそれを伝える権利を持つと解釈されている。例えば、相対性理論に関する解説書を書く権利は、相対性理論の専門家以外の人々が持つことは許されないのである。科学の大衆化を行うことの出来る人々はその分野の専門研究者のみであり、専門家になって初めて普及本を書く権利が与えられたのである。

近代化過程での科学の大衆化
今日の科学知識の普及に科学ジャーナリズムの果たす役割の大きさを知る我々にとっては、前記した科学の大衆化を担う人々の資格を問題にする風潮やジャーナリズムの科学報道へ無理解が時代錯誤であると言えるのである。
勿論、科学を良く知るものがその知識をより分かりやすく説明することが出来るという理由から専門的知識の紹介は専門家に限るという考え方もある。しかし、素晴らしい研究者が必ずしも素晴らしい教育者ではないという実態もある。また、日経新聞で報道される先端科学技術の知識の量と内容を提供できる大学の先端科学技術情報サービス機関は日本に存在しない。NHKの科学普及番組を制作できる情報系やデザイン系の学部をもつ大学も存在しない。また、専門研究者がその分野の知の社会普及活動の中心に必ずしなっていない。そして、大学の研究機関や生涯学習センターが先端の科学の大衆化の資材を作る拠点になっている訳でもない。
明らかに、わが国の20世紀の科学の大衆化機能と21世紀のそれは異なる社会文化現象を引き起こしている。その社会機能の変化は、科学の大衆化の資格を専門研究者に限定した20世紀の日本社会と現代のそれと異なる社会的背景を前提にしながら分析しなければならない。
科学的合理主義を大衆的に普及する活動は、地域農村社会の民主化運動や民主主義科学者協会の活動だけでなく、近代国家、資本主義工業社会の建設を推進する活動にとっても必要であった。近代国家を支える生産活動は近代科学技術の知識を基盤にして形成されている。科学や技術教育は国家の生産能力に直接的に関係してくる重要な課題であった。理工系教育を重視した明治以来の大学教育によって日本の近代工業化は推進したと謂える。
近代化を支える文化的基盤を欧米から取り入れ、伝統文化に支配されている生活文化を欧米化することは、近代化を支える社会基盤を創る事であった。そのため、欧米式の学校教育制度を導入し科学教育を普及した。更に、封建的な文化土壌を欧米化する社会変革が近代化政策として取り組まれ、都市生活は欧米式の生活文化が取り入れられた。しかし、古い地主制度を維持した農村社会では、欧米式の生活文化化の浸透は遅く、封建的伝統文化や生活様式が根強く残存した。農村社会で維持されている伝統文化の古い仕来りは、日本の近代化を進める社会制度に対立し、近代化を阻害する機能として働くのである。
農村社会での伝統文化や生活習慣は近代化政策の障害物として登場する。今和次郎の「生活病理」の概念は、貧困の原因である農村社会の古い伝統文化の生活様式や生活環境の構造を意味した。そして生活病理に対する対策が生活改善運動であった。封建的な生活習慣を生み出す生活文化の近代化が、農村社会での生活改善運動に結びつくことになる。
18世紀の啓蒙活動はニュートンの力学の有効性、知は力であり科学は世界を変革する道具であり、それを普及することが世界を変えることであると信じた科学主義から生み出される。つまり、科学の発展によって社会は進歩すると信じる科学主義は、必然的に科学主義の啓蒙活動を前提として社会に登場するのである。
現代科学の知識を普及することは、それ以前の世界観を駆逐することであり、科学の発展によって社会が進歩するという社会思想、政策、社会制度を構築することである。当然、古い社会観念形態によって支えられている伝統文化や社会制度は、この科学と対立する。対立を持ち込まれた社会観念は、科学主義を拒否するか、もしくは科学主義に駆逐されるか、その思想生命を掛けた闘争を行うことになる。
つまり、科学啓蒙教育によって持ち込まれた科学主義によって二つの異なるパラダイムを持つ文化の葛藤が引き起こされる。科学啓蒙教育は、農村社会での封建的な生活文化の様式や環境を支える社会観念を解体するために仕組まれた文化活動である。そして、その科学教育啓蒙活動によって生み出された人々の観念と彼らの観念に支えられた新たな生産活動や生活運動が、次の闘争の幕を開くのである。
この闘争を進めるために、新しい社会思想はより正確な自然科学の知識を提供しなければならない。何故なら、科学の知をより正確に知ることで、より有効な力を発揮することが出来るからである。近代合理主義の基盤に「知は力なり」という17世紀のベーコンの思想を例にとるまでもなく、西洋近代哲学に一貫して流れる知の実践的形態に関する思想は、18世紀から19世紀のヘーゲルの「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という考えから、20世紀のサルトルの有名なことば「知ることは変わることである」まで、現代に脈々と引き継がれている。
正確な科学的知によってより実践的知が導かれる。社会変革に必要な科学教育の啓蒙活動は、より有効なその成果を求めるためにも、曖昧な科学的理解でなく、より正確な科学的理解を要求することになる。日本の近代化過程で取り組まれた科学教育啓蒙活動は、18世紀フランスのサロンで話題になる目新しい科学への教養的関心や興味を刺激する啓蒙活動ではなく、農業の合理化や科学的農業を営むために必要な科学的知識や技術に関する知識を学ぶ活動であった。そのため、地域農村社会での啓蒙活動では生産活動に関連する教育が行われるのである。そして、その啓蒙活動をするために必要とされた人々は、広く科学情報を知る科学ジャーナリストではなく、専門分野の詳しい知識をもつ大学研究者であった。また、その教育活動の方法を教育学的立場から研究開発できる教育学部の研究者であった。


参考資料

戸坂潤 「戸坂潤全集 第一巻」
広重徹 科学と歴史 みすず書房 1965年 
小倉金之助 小倉金之助著作集 勁草書房  
神田嘉延 地方大学と生涯学習 鹿児島大学教学部紀要 2003年投稿論文
今和次郎 「生活学 今和次郎集」


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